「修学旅行がつまらない」と親からクレームが家庭や学校を蝕む「子どもを不快にさせない」という危険な風潮
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現代の教育制度では、子どもを不快にすることを避けるために、「個性や改善点を本人や親に伝えない」「やりたくないことはさせない」という風潮が中心になりつつあります。一方でAI時代は不快や課題を見つけて解決できる強い個人が求められる。つまり、社会では学校システムとは真逆の人材が必要となる。ホワイト社会に生きる私たちは他人様の目を気にしすぎて「子どもを不快にさせる」ということへの忌避感・嫌悪感が広がってしまっているようです。
わたしも答はわかりませんが、子供を叱ったり言い争いになりお互い「不快」に感じることも多々あります。それでも寝る前に愛を伝え、一日を感謝で終えます。「感情的になりすぎたかな」と反省することも。
これは悪いことなのでしょうか。「人と人の間」に生まれる喜怒哀楽の感情を豊かに共に育むことが、社会の基盤になると信じています。「成長に必要な「不快に耐える肺活量」を持つことで子どもたちが「昨日の自分」よりも成熟すること、できないことを共有して「どんな自分でも、これが自分だ」と思えること、知らないことやできないことに取り組むことで「可能の範囲」を増やすことなどはすべて、子どもが社会的に成熟する上で欠かせないことのはずです。」
とっても重要だと思っています。社会に出ると理不尽で不平等なことばかりです。その中でうまく飲み込み、立ち回る能力をつけることも重要だと考えています。具体的にはこうした教育という部分もそうですが、他の部分でも「多様性」という言葉が広まり受容されてきています。
それはとても良いことである一方、差別と区別の違いであったり、どこまで配慮すべきかだったり、当事者と周りの人、あるいは個人個人で考えは様々です。
誰の考えが正解・不正解がないのも難しいところ。
そうなると当事者が不快か不快でないかが判断する基準になってきますが、それを周りの人が口出しすることもしばしば...
つらつら書いてしまいましたが、先生方も保護者の方も大変だなと思いましたし、他人事ではないなとも感じました。