世界屈指の知識人エマニュエル・トッドによる主張 現代は「第二の植民地時代」である。
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> 私たちが何に対処しなければならないのか、正確にはわかりません。しかし、「以前のような民主主義に戻れるかもしれない」「戻せるかもしれない」という考えは、妄想です。
というのは(少なくとも自分にとっては)新しい視点だと思うけど、それ以外は色々なところで言われているような内容だと思う。
> 『人類の終着点――戦争、AI、ヒューマニティの未来』(朝日新書)から一部を抜粋・再編して公開します。
との事なので、本にはもっと色々書かれているのかもしれない。
「世界屈指の知識人エマニュエル・トッド」とか、こういうのに(自分も含めて)みんな弱いよね。
注目のコメント
「先進国」では貧富の格差と大衆迎合のポピュリズムが深刻化し、民主主義が機能不全に。一方で香港を含めた中国やロシアなどはさらなる抑圧で自由が消滅。端的に言うと今の世界を支配するのは、独裁者、カネ、ポピュリスト、+宗教(追記)。
そして国際社会も、米ソ二極の冷戦時代、その後の米国一強、中国の台頭で訪れた米中二強時代があり、今は米中両方が揺らいでいます。中国は国内の停滞、米国は深刻な分断。今後は超大国不在の多極世界、あるいは強国不在な「無極」世界でしょうか。
どれを見ても、戦略あまり戦略もなく対米依存一辺倒で来た日本政府や、あまり考えず流されてきた多くの日本人にとって、今後は大変な判断を迫られる世界かもしれません。わたしは今、『テルマエ・ロマエ』の作者である漫画家ヤマザキマリさんが安部公房について語っている著書『壁とともに生きる』という本を読んでいます。
その中で、ヤマザキさんと若い頃に共に暮らしていたイタリア人の詩人のパートナーがいるのですが、
その彼が民主主義についてとても良いことを言っていました。
「民主主義っていうのはあくまでも理想として掲げるものであり、成就できるようなものじゃない。俺たちは民主主義という言葉に騙されている籠の鳥だ」
今のいわゆる「西側」のリーダー達は、「民主主義」という言葉を軽々しく使いすぎていないでしょうか?
民主主義というのは、彼の言う通りプラトニックと言えるくらい高い理想の概念であって、それは無限遠方に僅かに光って見えるようなものでしかないはずです。
そんな民主主義を目指すということは、超越的な価値・不可能性への挑戦のようなものです。
過去にだって、世界史上のどの瞬間を切り取ったとしても、実現できたことなんて只の一度も無い。
それを、「俺達は民主主義で、あいつらは違う」なんて形で、軽々しく我が物の道具のように言ってのける人達は、
逆説的にそんな崇高であるべき民主主義の概念を裏切っています。
西側の自称民主主義の代弁者達は、決して民主主義の精神に適う人達では無いでしょう。
その辺りの欺瞞が、いわゆる「グローバルサウス」と呼ばれる国々の人たちにはよく見えているということだと思います。
我々がそこを自覚できるようにならない限り、この間の溝が埋まることはないでしょう。中国やロシアだって自分たちを民主主義国だと思ってますよ。議会もあるし、憲法もあるのです。それは西洋の基準からみると違うでしょうし、日本がそれに倣う必要は全くないですが。日本社会に取っては後退ですから。
(吉野作造の民本主義(これもdemocracyの訳語です)や孫文の三民主義を調べてみたらよいのです。)
以前、書いたことと違ってしまうのですが、これからさらに、偶発的に戦争が起こったり、海上封鎖がおきたりということはあると思いますよ。考えが変わりました。
私は、歴史は繰り返すとか歴史の必然というのは誤りだと思っています。
ただし、マーク・トウェインは、「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」といったのだとか。似たような状況では、似たようなことは起きるのです。グローバル化は、人類にとっては初めてかというと、そうではないのです。
https://synodos.jp/opinion/economy/15712/
これからの政治家、知識人はより一層、人々の気持ちに寄り添いつつも、事実や法則、科学に基づいた冷静な判断力が求められるでしょう。