【解説】京アニ、冤罪、責任能力——今問われる刑事司法の論点
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タイトル画像の「間違え」というワードが「間違い」であるべきなのでは?とふと思って調べてみた。「間違い」は基準からはみ出すことであり、「間違え」は(AとBとを)取り違えることだという定義に出会えた。とすると、この記事に挙げられる冤罪は「間違え」で正しいのでしょう。記事に関係のないところで勉強になった
書いた記事をまとめて紹介いただきました。京アニ事件や冤罪事件である大川原化工機事件の解説のほか、痴漢冤罪の防ぎ方、なぜ人を殺しても責任能力がないと無罪になるのか等について解説しています。刑事司法を通して社会について考え直す一助になれば幸いです。
根本を治さないからね、そりゃ根治しないよ。
この世の閉塞感を見直さなきゃ
人としては平等、能力は不平等でしかないけど、人としての平等を忘れているこの社会が問題なんだよ
怨みつらみをチカラにしても限度があるし、結局は誰かを傷付け、また誰かが取り残される、そしてどこかで怨みを抱えた人を増やす、負の連鎖だよね。
評価基準が個にある段階では評価なんかできないのに平気で評価する、それはその評価者の安全が基準でしかない、だから能力主義でこの国は良くならない、数字と感情の絡みを正せず、やっている風味満載の何となく主義では子どものお飯事でおもちゃのにんじんを切っているのと変わりがない、清涼飲料水をジュースというような社会に限界があるんだよ。