【復活の本質】ソニー改革は、脱「日本的経営」ではない
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勝てば官軍、負ければ賊軍──
ソニーほど、業績に応じて叩かれたり、称賛されたりしてきた企業はないと思っています。もし東芝も再生したら、ジェットコースターのように評価が、下がってからまた上がるのでしょうか。
(このことわざは、昨年ヒットした「スラムダンク」の漫画で覚えました)
極端に例えると、「最近のソニーの復活は『鬼滅の刃」をはじめとするヒットがあったから」のような、もはやトートロジーのような解説もあり、ずっと気になっているところです。
そんな問題意識から、「再現性のある経済記事」というものを模索し続けています。
例えば、ファイナンスや人事といった制度改革の進展は、再現性が高いと思っています。ただし、あくまでも制度は手段。目的は何か、ということが重要だと学んできました。
わりと「PL経営」で5兆円のトヨタや、監督と執行の一体化ガバナンスとメンバーシップ型で売上1兆円アップのダイキン。
経営の道はいろいろです。今回は、割と世界標準を行くとみられているソニーの改革が、スタンダードにcomply(従う)のではなく、ソニーの不易流行に基づくものだとexplain(説明)してもらいました。
ちなみに安部さんには、2年近く前に取材した後、「良い時も厳しい意見を言ってほしい」と言われたことが印象的です。
なお書ききれなかったこととして、ソニーでは労組も変わりつつあるようです。組成率が下がる中、またはサーベイなど人事テックで経営側と従業員側でデータがつながれるようになる中、経営とは独立して社員の意見をまとめ上げ、経営側に提示する組織へと変革を目指しているようです。「外資系と日本的企業で簡単に違いを分けられるものでもありません」「経営数値などでがんじがらめにすると組織が硬直的になります」「社員が社内の仕事をすべて掌握しているかというとそうではないし、自分に秘められた可能性をすべて理解しているかというとそうでもない」と言った点は全くそのとおりだと感じます。
マスコミで言う「日本的経営」というのは「業績不振の日本企業の特徴」であって、とても偏っています。「業績好調の日本企業」「業績不振の外資系」もたくさんあるのに。戦略が差別化とすれば、その根幹を担う人に対する施策も借り物ではなく自社独自のものでなくてはならないと思いました。SONYには日本的というイメージも外資的というイメージもありませんでした。ただ、会社主導とは言いつつも、『実際にはマネジャー側から「次はこの仕事をやってみない」と言われて異動する人の方が多い』とあるように、人事ローテーションが決定事項としての命令ではない、ということは従来の日本的人事とは大きく異なるものです。
鶏と卵の関係でもありますが、労働市場が成熟すると、個に選択肢が生まれ、個の力はより強くなります。『もはや、「個が組織に従う」のではなく、「組織が個に従う」時代だと思います。これは日本だろうが欧米だろうが関係なく。』という時代背景を前提として、自社の変えないこと/変えることを要素として選別するだけではなく、それらの要素を統合した有機体として、かつそれが環境と相互作用する有機体として、組織人事の戦略を作るべきと思います。