横山やすしの教えを理解できなかった「松本人志」 「笑いのつぼ」を勘違いした「いじめ芸」の終焉
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途中で読むのをやめました。こういう風に笑いを評価する謎の上から目線の記事が時々出てきますが、何故こんなに自信満々なのか理解に苦しみます。人を笑わせるってすごいことですし全てを分かった気になって論じているのには痛々しさすら感じます。
ここ10年ぐらいは松本氏の番組をまともに見ていませんし今は全く興味がありませんが、全盛期に生み出した笑いについてはリスペクトされるべきものだと思っています。「良い」、「悪い」の2原論にて暴力を語っていることに無理があると感じました。昔の暴力は「良い暴力」、ダウンタウンの暴力は「悪い暴力」としていますが、文章からは、やっていることは同じとしか思えませんでした。
そもそも、「お笑い」自体が、得てして暴力であり、イジメであるとの認識が広がってきているのだと思います。お笑い芸人が料理系ユーチューバーをイジり続け、ユーチューバーがキレた動画にて、お笑い芸人が批判されたこともありました。
「ボケ」、「ツッコミ」という役割分担自体が、身体的暴力を伴わなくても、格差の固定によるイジメ構造になりやすい一面があります。古典落語において、障がい者や字の読めない人を笑いにすること自体も、「差別意識はなかった」と言えば済むことではありません。笑いにしているのですから。
私が、良質な笑いと感じたものは、NHK Eテレで放送していたシャキーン!にて、パンの袋の口を留める「パッククロージャー」の形が青森県の地形に似ている、との内容です。伝わらないようでしたら、私の文章力不足です。「松本人志」は単に「分別がない」だけの状態を「才能」と勘違いしてしまったとのこと。「弱い者いじめ」で視聴率が取れてしまっていた時代が終焉を迎えつつあるということですかね。