「原爆投下で米兵12人死亡」 GHQ報告、1948年に断定
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広島市内に米軍捕虜がいたのは、1945年当時から、日本側には知られていたことでした。
広島市内には、捕虜収容所はありませんでした、
日本側も考えており、捕虜収容所は、日本の重要な工業や鉱山の生産施設に隣接して各地に設置されていました。
しかし、広島市内にはそれがなく、原爆投下目標に選ばれました。
日本国内の捕虜収容所
http://www.powresearch.jp/jp/images/archive/campmap_j.png
この米兵12人は、呉を爆撃中に撃墜されたため、一時的に広島市の憲兵隊司令部に収容されていました。
被爆死したアメリカ兵の認識票
https://hpmmuseum.jp/modules/exhibition/index.php?action=DocumentView&document_id=253&lang=jpn推察しますに、当時のGHQは「12人の米兵の事例を調べてみたが、捕虜虐待という日本の残虐行為の証拠に算入できず少し残念」と考えたのでしょう。おそらく米兵の遺族に対しては、日本が惹き起こしたひどい戦争を「一日でも早く終わらせるための尊い犠牲であり祖国の誇りである」とでも説明したのではないでしょうか。
戦争とは本当に嫌なものです。1945年に成人していたであろう彼らを直に知る人は、ほとんど鬼籍に入られているでしょうね。