オワコン化した従来教育、捨てられる教師の末路
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そもそも変わらないでやっていけると思っている方が不自然
デジタルイノベーターが求められており、教育指導要領等でも課題を発見でき、デジタルなどを活用して解決しアクションをできる能力が求められている
一方、採用苦慮に伴い過重労働など教員の負担は限界値を迎えているのも事実
一生懸命な先生であるほど悲鳴を上げざる得ない状況であり、もはや構造改革をしなければ子どもたちの学びの質が低下し極度の機会損失を誘引してしまう
個人的には、もはや教育の開放に待ったなしであり、成育と学習の役割を分けざる得ないと考えている
例えば、従来の教員は成育に注力し、子どもの健やかな成長やヒューマンスキル、将来像などに特化しコミットし、学習面は民間委託、連携等でカバーしコミットさせる座組などにしなければ社会に求められる教育は出来ない
部活の外部委託云々で物議を醸している暇はない
一日も早い教育の開放に取り組まなければならないですね
注目のコメント
子供は減り、デジタルとAIで従来の学校はオワコン。強く同意します。同じ危機感を持ちます。逆に人生100年、生涯学び続ける時代となり、デジタルとAIを使いこなす知識と実践力が必要になりました。新しい学校の時代の幕開けです。(そのための大学iUを創っています。)
偏差値の高い大学に入ることが教育のゴールになっている現状は、昭和期から全く変わっていないどころか、むしろ色濃くなっている印象さえあります。
無駄に難しい問題を解くという、まさに無駄なスキルを磨くのに貴重な10代の時間および親の所得を膨大に費やす教育そのものをオワコン化してほしいです。>教育に関心があり、かつ就職戦線を勝ち抜ける優秀な人ほど学校教師にならない。
これは、今に始まったことではない気がします。そして、学校が変わらないのは、現場もそうであるが、未だに色濃く昭和が残っているのと教育に投資しない国と自治体の問題です。
>知識を蓄えることではなく、知識を使って考え、想像し、創造する能力が重んじられるようになりました。
なのに知識に対する理解力が落ちているので、想像も創造もできなくなっているのが現状です。確かにネットで調べれば、大概のわからないことはわかりますが、それを理解して吸収したかというのは別の問題です。そして、想像?創造?しようにも、それ以前の知識がないので、その知識を調べても理解できずに終わることが多々に見受けられます。本来であれば、スタートの時点である程度の想像?創造?の見当がつくはずなのに、学習の基本の知識の吸収ができていないので、どの段階に立ってもスタートで出遅れる子どもが増えました。
学校教育がオワコンになっていく根拠は、学校でできることが家でもできるようになってしまったことが前提にあり、それでも、従来の家でできないことが学校でできる価値を時代に合わせて見出せていないことだと思います。