オープンAI、多数のメディア企業と交渉中-コンテンツ使用許可巡り
コメント
選択しているユーザー
ニューヨークタイムズとアクセルシュプリンガーのスタンスの違いは抑えておくべきこと。数年後どうなるかを見据えて日本のメディアはどちらのスタンスを取るべきか。メディアコンテンツの価値は今を切り取り、正しく伝えることにあると捉えると、過去のコンテンツをオープンAIに限らず学習データ提供するといった時間軸の議論に置き換えると両社のゼロイチのスタンスではない生産的な議論へと発展するのではないか。
注目のコメント
ニューヨーク・タイムズの記事の中には訴状へのリンクが貼られてあります。まずそれを読むとよいと思います。
この中に、タイムズの記事が勝手にAIに学習され、同テーマの質問をAIに聞くとほぼ記事と同じこたえが出てくるという例が列挙されています。
しかも出典を明示することなく。
これは、明らかに著作権法に違反しており、さらに、記事をつくるまでにさまざまにかかった労力にフリーライドするものです。
判例をつみかさねることで、AIは勝手に著作物をとりこめなくなるようになる。
これはひいては、利用者のためになります。なぜならば、公表されている裏の事情を足とデータを使って取材をするメディアがなくなっていけば、それは生きづらい社会になるからです。
日本では読売がNYTと同じスタンス。生成AIが幅広く情報を学習するのは大切です。偏ったメディアの記事だけを学習したらAIも影響されるのではないでしょうか。しかし日本に関して偏向記事の多いニューヨークタイムズを取り込まないことは良いことではあります。
究極の選択を迫られていますね。
1本の記事は1本の記事以上の価値があると私は思っています。特に新聞社の記事は。
というのは、新聞記者は入社1年目に、過不足なく情報収集し、ファクトを間違いなく伝える術を徹底的に叩きこまれます。大げさではなく、「叩き込まれる」が正しい。
毎日毎日複数の記事を書いて、脊髄反射で必要なことを聞き出し、悩まずにさっと短い文章にまとめる、それができて初めて「戦力」とみなされます。文章は、接続詞や解釈の余地がある形容詞は極力避け、事実を伝える。自己表現ではなくスキルです。そんな訓練を受けています。全国紙だけでなく、私がかつて所属した地方紙でもそれは徹底されていました。
何がいいたいかというと、報道機関は記者の教育機関でもあるのです。
その機能を手放すことにもつながるのではないかという危惧があり、一方で記者のスキルを問い直す時代が来たという気もします。
正直、私の中でも最適解は見えていません。