STEM偏向は「自滅の種」、ノーベル賞経済学者がAI台頭で警告
コメント
注目のコメント
たしかに、長期的にAIが「無駄な仕事」を軽減し、「創造的で人間的な活動」に時間を割くことを後押ししてくれるのであれば、AIに「浸食」されうる前者の領域やSTEMの分野ではなく、
後者に関係する領域や「コミュニケーションやカスタマーサービス、ヘルスケアなどでマネジメントや創造性、共感力」を学んだほうが人間らしく生き延びることに適うのかもしれません。
他方、短期的にはSTEMや関連テクノロジーの分野に企業のお金は流れていくので、労働者・働く側として、あるいは儲ける側として当面張ろうとすることも否定しづらいです。
また、AIの発展の意味を理解するには、技術を理解しないといけませんし、AIのようなリスクをはらんだ技術であれば、猶更、管理も必要になるでしょうから、STEMを学ぶ必要がないということではないと思います。
さらにAIの場合は人文社会科学にも変化を求めています。既存の倫理の枠組みではとらえきれない、個人の選択を超えて複数のアクターの相互作用により結果を招来した性質が強いため、責任を個人に全く帰属させるということが難しいということらしいです。本当にそうなのかは、個人的には分かりません。
https://www.toyo.ac.jp/link-toyo/social/AI_philosophy/
記事の最後も印象的です。
●「大半の職がパーソナルケアやコミュニケーション、ソーシャルスキルを伴うものになるだろうと言うと、『まさか、将来有望なのはそういう仕事なのか』と驚かれるかもしれない」とピサリデス氏。「こうした仕事を見下すべきではない。かつて学生が学校を終えて就いた職より、良い仕事だ」と述べた。
大学を卒業し就職する仕事が地位が高く、高い報酬をもらうべきという「常識」がAIによって崩れてきているということなのかもしれませんが、個人的にはよいことだと思います。
渋沢栄一は『論語と算盤』において、「現代の青年は学問を修める目的を誤っている。・・・学問すれば誰でも立派な者になれる、という一種の迷信のために、分不相応の学門をして後悔する」と述べています。
STEMにしろ、人文社会科学にせよ、学問のための学問ではなく、他者や社会にどう関わるかという意識─それは共感力や想像力/創造力を含むとも思いますが─をもって学ぶことが大事なのかなと思いました。プログラミングを学ばせろ。
子どもの将来を考えてプログラミングを学ばせようとする親、リスキリングのためにプログラミングを学ぶ社会人が多かったですよね。
横目で見ながら、それってAIがやっちゃうよねって思っていました。実際ノーコードになりました。この先プロンプトも不要になるでしょうね。
STEM関連を否定する必要はありません。AIが代行できてしまう仕事にとどまらず、価値創造し続けられる能力を高めることが大事。だからこそ2010年代の半ばから、イノベーションには感性や創造力が重要だと認識されるようになり、STEM+ArtでSTEAM教育が謳われるようになりました。
でも実際は名称は何でも良くて、その分野で何を学ぶか次第。コンピュータサイエンスを学びながら倫理を深堀りすることもできるし、プログラミングを学びながら自分の作りたいものを見出す力や、良いプロダクトとは何かという感性を磨くこともできる。日本の文科省もプログラミング教育導入にあたり、ツールを使える力ではなく「プログラミング的思考」が大事だと強調していましたが、すごく本質的だと思います。
一方で、ピサルデスさんの言う通り、介護など今までスポットが当たりづらかった現場系の仕事の価値が、もっともっと高まってほしいとも思います。生物である人間が脳と身体を使う方がAIの電力消費+ハードの調達制御メンテコストよりも高コスパな領域は沢山あるはずで、そここそが人間の価値であり、尊いものだと認識されてほしいですね。