世界経済は、国を滅ぼす「縁故資本主義」にどれほど蝕まれているのか
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企業経営者の世襲くらいは日本でもありふれていますが、より深刻なのは、国家権力との癒着です。
たとえば、建設会社の経営者が、自分は国会議員になり、長男は社長にして、次男は国土交通省に、3男は県の土木建築課長にして、地域の公共事業を総取りする、といったことです。
日本でも昭和ならあったでしょうが、最近は減りました。
世界の大部分ではこういうのはありふれたことですが、特にひどいのは南アジアと中東、アフリカです。
インドのGDPが増えれば、それだけ世界の縁故主義で得られた富も増える、ということが現在起きています。
ロシアもひどいですが、サウディアラビアとかバーレーンとかも似たようなものです。
中国でもありますが、最近は腐敗取締りということで、本当に取り締まられてしまった一族もあります。
そういう場合、資産を持つ企業経営者は、資産を密かに国外に移します。統計などあてにならなくなります。
ほぼ全ての途上国で起きていることですが、自国に投資されることもありえた富が、ロンドンやUAEやシンガポールに移されます。
日本なども、それほどではありませんが、縁故主義で得られ富ということでいえば、出ていく富よりも、(中国から)入ってくる富の方が大きくなっているので、恩恵を受けているともいえます。市場主義経済が機能不全に陥っているのですね。
取引のベースとなるのが「信用」だとすると、誰にでも開かれた市場よりも顔のわかる縁故のほうが強いのは、わからない理屈ではありません。そもそも、それが、資本主義の本質ではないかと、松岡正剛先生の、ブローデル『物質文明・経済・資本主義』の書評を読んで思いました。
> それで何がおこったかといえば、市場経済が2つの顔をもった。Aの市場経済は「透明な交換」の競争的連鎖によるもので、取引勘定や利益勘定に大きな狂いを生じさせないものだった。むろん飢饉や事故や騙しあいもあるのだから、ときに大きな変動はあるのだが、それもやがては収まるはずの市場経済Aである。
> 一方、市場経済Bのほうは、さまざまな場で交換がおこるたびに「ランクを変えていく経済」になっていった。これはパブリック・マーケットに対するにプライベート・マーケットが設けられる頻度が上がるにつれてしだいに強化され、やがては「流通の経済」の様相を呈するようになる。
> ブローデルはこのようなBの形態は、最初は市場経済というよりも「反市場的な経済」の登場によるものというべきだと書いている。炯眼だった。
> この反市場的取引は、たちまち契約書や為替手形の取引を伴うようになって、“不公平な交換”をつくりだすようにもなっていった。「交換のはたらき」はしだいに「流通のはたらき」に重なってしまったのだ。このときこそが、今日でいう資本主義の最初の誕生だったのである。
「1363夜『物質文明・経済・資本主義』 フェルナン・ブローデル」 『 松岡正剛の千夜千冊』、https://1000ya.isis.ne.jp/1363.html、最終閲覧日:2023年12月31日恐らく元の記事はこちら,2023/5の記事です
https://www.economist.com/international/2023/05/02/the-2023-crony-capitalism-index