「取り残される不安」がカジュアルセックスを後押しする科学的理由
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注目のコメント
あらゆる刺激的で楽しい経験に入れなかった身として、確かに不安はある。
単純に自分の人生何なんだ?というわけですね。
でも、そんな負け組の私達がカジュアルな性的関係なんて結べるんですか。
性行為って相手が必要ですけど、見つからないもん。見つけ方教えて。
そこにだけ興味あります。人は皆、『他の皆さんもやってますよ』 という言葉に弱く、『自分だけやってない、楽しんでない』と思い込むと判断力が異常に鈍る。
その結果、心底は望んでいないけど皆がやっていると『思い込んでしまった』行動をしてしまう。
つまり、『流される』と。
『隣の芝は青い』は『自分の持っていないものを欲しがること。無いものねだり。』と辞書に説明ありますが、これ、実は『自分の持っていなくて他者は持ってると"思い込む"こと。』ではないかと思います。
つまり、青い鳥を追いかけているような夢想。
なので、現実を捉えられていない若者、憧れへの渇望・欲望の強い人間は衝動的行動に走りやすい。
夢想状態の思い込みが、行動を強くしてしまうため。
良いか悪いかは分かりませんが、少なくとも心の平穏をもたらすものではないでしょうね。
衝動的行動が心の傷を残さないようにする程度の理性は持ち合わせておきたいものです。社会の中の立ち位置を考えて行為に及ぶのは虚しいですが、カジュアルなセックス自体は悪いものでもないと思います。お互いに望んでいて相手への思いやりがあることだけは必要だと思いますが、セックスと通常の生活を切り離しすぎではないかと最近ふと思ったところです。