高級ファッションブランドの「法外な価格設定」は正当化できるのか
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正当化も何も、格差を背景に成り立っているビジネスなので、ごく一部のけた外れの新興超富裕層の購買客が購入し、心理的満足を覚えるのかもしれませんね。一種の「アート」ないし「勲章」みたいなものとして投資の対象になっているのでしょう。アートなら品質という基準とは別のカテゴリーになりますから。
それを見て羨望したり騒いだりする大衆がいればいるほど彼らのコンテクストにとりこまれるという仕組みなので、その仕組み(私は「旧型ラグジュアリー」と呼んでいます。「旧」はただの分類であって批判しているわけではありません)にとりこまれないぞと抵抗する成熟した購買者は、しれっと無視していればいい世界、ととらえています(笑)高級ファッションブランドの価格設定と品質を天秤に乗せることが本質を読み誤っていると断言します。
「高品質だから高価格」ではなく、「高価格だから(ある意味)高品質」という人向けにビジネスをしているので、価格を上げるのは必然です。
そもそも欧米のラグジュアリーの価値基準というのは階級制度が土台に存在して成り立つため、一般大衆に愛想をつかされようが何だろうが、一般大衆との差別化がラグジュアリーに直結する側面があります。
「手に入りにくい物を持つ優越感や特別感」
これらを富で表現するのが欧米のラグジュアリーの側面でもあります。
一方で、この考え方を軸を変えて新しいラグジュアリーと認識させたムーブメントが世界に一つだけあります。
それが日本の裏原ブームです。
「手に入りにくい物を持つ優越感や特別感」を生産数の規制とメディア戦略で作り上げ、現在まで続くコラボレーション戦略を生み出しました。
それらは2010年以降の世界のラグジュアリーブランド戦略にも大きな影響をもたらしています。
さて、マルクスの資本論と同じ道を辿るかどうかは誰にも分かりませんが、前途したラグジュアリーとはなにか?を再考するきっかけは今後出てくると思います。
日本は新時代のラグジュアリーの要素を沢山兼ね備えているので、欧米ラグジュアリーの価値基準に合わせるだけではなく、独自の思想を輸出できるフェーズが近づきつつあると個人的には感じております。価値観次第だと思うけど、
アウトプットを着飾るものではなく、インプットを養うものとして捉えれば、「世界最高峰のデザイナーが手がけたクリエイティブ」に20〜30万ならアリだと思う。
車や絵画は買えないけど。