「哲学書」と「自己啓発書」の違いは何か...今のあなたに必要なのは「答えの提示」、それとも「問い立て」?
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哲学と自己啓発の違いを示すよい記事です。
哲学の出発点が「自分が直面している課題・問題」であることもあります。ただ、その問いそのものが、一般の人には共有・理解されにくいものであったりします。
例えば、『監獄の歴史』で有名なミシェル・フーコーの問いの始まりは、自身の同性愛だったという説もあります。そういう意味で、決して、観念的な問いから哲学は始まっているわけではありません。
哲学が必要になってくるのは、自己啓発では解決できない何かを見つけてしまったときです。自分がマイノリティの立場になったとき、世の中の常識をいまいちど吟味しなければならないからです。
哲学は決して答えを与えてはくれません。答えに至るプロセスを示してくれるだけです。そういう意味では、答えをすぐに欲しがってしまう人には向かないのかもしれません。
永井均先生の『〈子ども〉のための哲学』に書かれていることが、本当の哲学だと思います。
「 どんな入門書でも、口先ではみずから哲学することの重要性を説くけれど、そういいながら、実は哲学説の鑑賞の仕方を教えているにすぎないことが多い。(中略)
思想を享受しようとする人は、決まって哲学に教えを読み取る。哲学というものがあって、何かをやっている。ちょっとのぞいて見ると、なにか深遠そうなことを言っている。これは人生の教訓にちがいない、というわけだ。哲学って何だかわからないけど、とにかく世の中で意味のある何かをやっているにはちがいない、という前提に立って哲学の排出物をのぞき込めば、そんなふうに見えてしまうのも当然だ。
ぼくがこの本でめざしたのは、自分が水中に沈みがちな人間にとっての哲学のやり方といったものだった。(中略)ここでは哲学とは、(よい意味でもわるい意味でも)ふつうとは違うものの見方へと誘うようなものではない。哲学をやった結果、華厳の滝から飛び込み自殺するようになるわけでも、独自の世界観を持ってふつうのひとより高い生き方ができるようになるわけでもない。現実の世の中の基準からみれば、ひとめぐりして、はじめてふつうのひとと同じ水準に達することができるだけのことだ。」
『〈子ども〉のための哲学』(永井 均):講談社現代新書|講談社BOOK倶楽部
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000146763夢や使命は問いのかたちをしている
〇〇になるにはどうしたらいいのか
世の中を〇〇にするには何をすべきか
そもそも〇〇とはなんなのか
哲学したいことがみつかると、すべてのことがそれとつながってみえてくる