20150408_ファジアーノ社長

ファジアーノ岡山 木村正明代表インタビュー・第1回

元エリート金融マンがJ2のクラブ経営に挑む、「観客を呼ぶ」ための4つの作戦

2015/4/8

東大卒のエリート金融マンが、サッカー界に挑戦したら?

そんなドラマのような話を地でいくのが、Jリーグ2部(J2)のファジアーノ岡山の代表を務める木村正明だ。

木村は東京大学法学部卒業後、ゴールドマン・サックス証券に入社すると、外国債券部で頭角を現し、35歳で執行役員に就任。順調に出世街道を走ってきた。

だが、37歳のときに転機が訪れる。きっかけは、小中学時代の親友からの「ファジアーノ岡山に100万円を寄付してくれないか」という連絡だった。

快く寄付すると、それから少しずつクラブとの縁が深まり、2006年2月、ファジアーノ(当時は地域リーグの所属で4部に相当)の代表就任を打診された。

木村は、ゴールドマン・サックス証券を退職してクラブの代表に就任すると、持ち前の営業力でスポンサーをかき集め、わずか3年でJ2昇格を実現させる。経歴の珍しさも手伝って、木村の経営手腕は多くのメディアで取り上げられた。

ただし、そこから先はプロの世界である。親会社を持たないファジアーノが、資金力を強めるのは簡単ではない。

現在のクラブの売り上げは、約11億円。J2ではちょうど平均規模で、J1クラブの平均の約3分の1だ。2009年のJ2参入以来、1部昇格をまだ達成できていない。

元エリート金融マンは、どうやって1部の壁を打ち破ろうとしているのか? 今回から3回にわたって木村代表のインタビューを掲載する。

木村正明、1968年岡山県出身。東京大学法学部卒業後、1993年にゴールドマン・サックス証券に入社。2002年に債権営業部長に就任し、翌年にマネージングディレクター(執行役員)に昇格。2006年に同社を退職して株式会社ファジアーノ岡山スポーツクラブを創業し、代表取締役に就任した。2014年からJリーグ理事を兼任(写真:上野直彦)

木村正明、1968年岡山県出身。東京大学法学部卒業後、1993年にゴールドマン・サックス証券に入社。2002年に債権営業部長に就任し、翌年にマネージングディレクター(執行役員)に昇格。2006年に同社を退職して株式会社ファジアーノ岡山スポーツクラブを創業し、代表取締役に就任した。2014年からJリーグ理事を兼任(写真:上野直彦)

広島カープに比べると何かが足りていない

──これまでに何度も聞かれたと思うのですが、そもそも木村さんは、なぜファジアーノ岡山の代表を引き受けたのでしょうか?

木村:僕は生まれも育ちも岡山。野球少年だったのですが、子どもの頃からプロチームがないのが寂しかったんです。地元在住にかかわらず、地元出身者も含め、同じことを求めている人がいると思いました。

生意気かもしれませんが、『プロチームがなくていいんですか?』と問いたかったんです。現在、ファジアーノに多くの人が参加してくださっていることは、プロチームを欲していた人が多かったということ。それに一定の手応えや感謝の気持ちはあります。

ただ、『これから、どこを目指すんですか?』という質問になると誰も答えられません。広島東洋カープは、昭和24年に設立されて26年かけて初めて優勝しました。昭和50年には広島市民の少なくとも半分は広島市民球場に行った経験があり、今は8割くらいが今までに球場に行った経験があると聞きました。地域が受け入れている、みんなが愛している、とはそういうこと。それに比べるともっともっと頑張らないといけない。何かが足りていない。

──その何かを埋めるために、どんなことに取り組んでいますか?

木村:プロ野球とJ2クラブを比較するのは少々無理がありますが、野球は、親会社がメディアで、巨人戦は過去、全試合ゴールデンタイムで放送されたり、全国に600以上の野球場があったりと、歴史の重みが違います。一介のビジネスパーソンが、ほぼゼロの状態からサッカークラブの経営に携わった場合、どうすべきかを考えました。やはり王道は、地域社会との関係を大切にすること、そして毎年少しでも成長していくことだと考えています。今年は、平均入場者数1万人を目指しています。それが『Challenge 1(チャレンジ・ワン)』です。

端的に言うと、広島カープのようになりたい。お客さまに一度はスタジアムに来てほしいんです。それには具体的な数字を目標に落とし込まないといけないので、1万人にしました。

もう1つ理由があります。2001年のベガルタ仙台、2002年の大分トリニータ、2003年のアルビレックス新潟は、すべてJ2時代に年間平均1万人の観客数を達成してJ1へ上がりました。もちろん2002年にW杯があったのは大きいのでしょうが、それも含めて、地域の盛り上がりだと思います。彼らは1万人を集めていた結果、J1に上がってからの定着度も高かった。アルビレックス新潟は、平均3万人の観客を動員するようになってJ1に上がりました。

勝利と観客数は簡単には比例しない

──平均観客数1万人という目標を、どうやって実現していきますか?

木村:これまで大切にしてきたこと、すなわち、チームは勝利を目指して全力で戦い、今や多くの方に語られるようになった『ファジフーズ』(編集部注:ファジアーノのホームスタジアムにおける食事)のさらなる充実、全試合スタッフ総出で行うビラ配り、地元メディアの皆さまとの協働は、もちろん続けていきます。他方、2013年と2014年のファクトを調べたら、意外なことが分かりました。2014年は18試合連続負けなし(9勝9分)の時期があったのですが、その期間のホーム10試合の観客数は平均8800人で、2013年の同時期10試合(5勝6分7敗)の平均9400人と比べると、減っていたんです。

勝利は、来場者への最大のプレゼントであり、クラブは当然目指すもの。ただ、「勝っているから観に行こう」とはなっていなかったんです。逆に、1万人を超えた試合は、岡山・香川(カマタマーレ讃岐)の初めての四国ダービー対決、ガンバ大阪やジュビロ磐田との初対戦、ゴールデンウィークの試合など、「話題性」や「余暇」が重要なことに気付きました。

フロントスタッフからすると、「勝利」や「話題性」「時間」は、ある意味、他力本願。自力努力を考えた場合、我々の武器である「会場でのホスピタリティ」に磨きをかけたいと考えています。

私たちは、日本一のホスピタリティを目指しています。主な施策は4つ。「Smile For You」「Heartful Rainy Day」「Stress Free」「Enjoy At Stadium」です。

──4つの施策を詳しく教えてください。

木村:1つ目の「Smile For You」は、笑顔で接しようということ。笑顔はビジネスの基本。クラブスタッフとボランティアのスタッフさん全員が、笑顔であふれるスタジアムをつくろうと。

2つ目の「Heartful Rainy Day」は、ホーム球場の「シティライトスタジアム」は雨の日だと5000人くらいが屋根の下に入ることができるんですね。できるだけ席を詰めて屋根の下に誘導したり、ビニール袋をお渡しして荷物が濡れたりしないように徹底しています。今後は、雨の日ならではの特別なサービスができたらと思っています。

3つ目の「Stress Free」は、観客がストレスを全く感じないようにもてなすことを指しています。一流ホテルだと、自分の家にいるかのように過ごせるじゃないですか。余計な気を使うことがない。

例えば、新しいイベントに行ったとき、いつ・どこで・何をしているかが分からないとストレスになりますよね? この選手のサインが欲しいなら、何時にどこに行けば整理券がもらえるのかとか、喫煙所はどこなのかとか、そういうストレスを初めての球場では、たくさん感じると思うんです。

そういうときは、ガイド役がしっかり案内できるようにする。「ask me!」と書いてあるジャージを着たスタッフが、目に見える範囲に必ず一人配置しています。「何かお困りですか?」とこちらから声を掛けるときもあります。最後まで問題が解決するまでやり通す。途中で投げ出さないことを徹底してやっています。

試合当日は『ask Me(アスク・ミー)』と書かれたジャージを着たスタッフが来場者をアテンドする(写真提供:ファジアーノ岡山)

試合当日は「ask me!」と書かれたジャージを着たスタッフが来場者をもてなす(写真提供:ファジアーノ岡山)

──それは面白いアイデアですね。木村代表の発案ですか?

木村:たまたま僕がアメリカへ出張に行ったときの写真を、クラブのスタッフに紹介したんです。アメリカンフットボールとメジャーリーグ・ベースボールのものです。それをやろうと。

──「ask me!」ジャージを着ているクラブは、他にないと思います。

木村:4つ目の「Enjoy At Stadium」。今年でクラブは12年目なんですね。サッカーで「12」はサポーターの番号で、特別な数字。長い歴史でも12年目は今年しかないので、それにちなんだパネル展の実施、記念グッズの販売、記念撮影などを毎試合行っています。パネル展は、長い間応援してくれているサポーターには懐かしんでもらえ、新しいサポーターには歴史を知ってもらえます。

「今年こそJ1」という意識は危険

──取り組みの成果は出ていますか?

木村:おかげさまで、今季は今のところ平均1万人以上のお客様に来ていただいています。ホームページの左上にいつも掲載されているので確認してみてください。

──そうなるとJ1昇格の期待も高まってきますが、課題はありますか?

木村:ここからは地域の力が本当に試されます。地元では最近、「今年こそJ1昇格を」という声が高まっていますが、「少し危険だな」と思っています。例えば、大分トリニータは1999年と2000年、わずか勝ち点1差でJ1昇格を逃し、2001年も最終節まで可能性を残しながら昇格できませんでした。しかし、2002年に地域が一丸となって平均観客数が1万人を越えて、ついに初昇格を果たしたんです。

JFLからJ2に昇格した2008年には、スポンサー収入が合計1億円以上、平均入場者数は3000人以上を達成しないと入会が認められず、地域とクラブが一体となった大きなうねりが起こりました。それが現在8000人を超える観客数につながったと確信しています。もし将来J1に上がれたとしても、その先がある。チームに「勝て勝て」というのも大事。でももっと大事なのは、J2のときに、どこまで土台を築けるかなんです。まだプレーオフにも出たことがないクラブに、「今年こそJ1」という言葉は、少し無責任だと感じています。もっと多くの岡山県民に、『我がクラブ』と思ってもらえるよう、頑張りたいと思います。

(文中敬称略)

※本連載は毎週水曜日に掲載予定です。