必要なのは「思う・悩む」とは違う、まっとうに「考える技術」
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仕事柄まさに多様性について考えることが多いですが、頭を悩ませているのが「こういう考え方が正しい、こうすべきだと言って、それとは違う考えを持つことが悪いようにしていることの方が侵害だ」「逆差別だ」という声。
この記事の中に
>こうして問いを立てる意識は、多様性のある社会においては不可欠。
>ひとつひとつのルールに合理性や納得できる理由がなければ、結果的には不幸になる人が増えてしまうからです。
という言葉があり、少しヒントになった気がしました。
自分自身を振り返ったり常に問い続ける人のほうが深みがあると日頃思っていますが、やはり考える力って大事なのかもしれません。知識だけを渡しても考える力がなければ次に繋がらないです。
同時に、押し付けではなくちゃんと説明できる力も必要なんだろうと思います。
注目のコメント
考えることは問いを持つことからとは、まさにそのとおりです。
しかし、違和感を最初から問いとして言葉にできることも稀です。だからこそ誰かに問いを発して言葉を磨く必要があります。
3人よれば文殊の知恵とは言いえて妙で、問いを発して言葉を見つけていくことが、問い深め、考えを深めることに繋がります。財務部門に異動したての若手だったころ、尊敬する先輩に「推測で判断するな、事実で判断しろ」と叱られたのを思い出しました。
記事内容に加えて言えば、1つの事柄に対して、それを構成する要素に分解して論点/イシューを特定(そして可視化)する思考技術が必要と思います。
ごった煮の状態では事実の部分と推測の部分がハッキリしない。議論の中で目線も合わず、噛み合わない。要素に分解して1つ1つ話していけば、事実/推測、認識の合致性、意見の一致/不一致している箇所等が明らかになり、目指すべきところは何なのか、その為にまずは何をどうすれば良いのか、が自ずと導き出される。あとは再び組み立てる(実行)のみ。
それが「考える」ということだと思っています。考えるとはどういうことか
それをタイトルにした、哲学者の書籍がおすすめ
考える体験としての哲学対話では、「わからないことを増やす」ことの効用に焦点をあてる。『体でかんじる哲学』というキーワードが個人的には刺さりました
ひとりで考えることが通常ですが、いまの時代はひととともに考えるのがもっと主流になるだろうし、そのあり方が見直されてるんだろうなぁ
考えるとはどういうことか
梶谷真司
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