【橋本栄莉】人はなぜ何かを信じて、行動を起こすのか
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注目のコメント
みなさま、コメントどうもありがとうございます。橋本です。
研究は孤独な作業なもので、みなさまの様々な観点からのコメントに大変励まされます。
「分からない」という、ちょっと単純すぎだろと自分でもツッコミたくなる研究動機に、意外にもコメントが多く集まり驚いております。
自分の経験の範囲で恐縮です。最近の大学生は何でもよく「分かって」くれるのですが、その一方で、「分からない」ことに対する恐怖心や不安感が強いなとも感じます。ネット検索で何でも答え(らしきもの)が得られる世界にあって、それはあたりまえかもしれません。
ただ、やっかいなのは、世界の多くのことや人生の大事なことは、「分からない」ことだらけという事実です。
「分からない」ことに出会ったとき、絶望しつつも、それを快楽に変える力を人類学やフィールドワークは持っていると思います。自分の学んだ「分からない」の魅力やそれに向き合う力について、少しずつお伝えしていきたいです。人生の「探求者」のエピソードからヒントを得る連載「Life Quest」。
「橋本栄莉」先生編の第二話です。
橋本先生が文化人類学の道に足を踏み入れ、そして今もこうして調査を続けているのは、「分からない」からだそう。
知りたいことが分からない、だから続ける、という方程式は、非常にシンプルに見えます。が、分からないことを明らかにするまで止められない、という強い執着心があってこそ、先生が今も研究を続けられているのだろうと思いました。
最後のパートで、「狩猟採集民には『自然』という言葉がないという話に衝撃を受けた」という先生の過去が展開されています。
こういう経験、他言語を上手く訳せない時に、似たような感覚になることありませんか?例えば「お疲れ様です」とか、「行ってきます」とか。状況的に、
「Hi」とか「 See you later」って言うけど、厳密には違う。「え、お疲れ様ですって言わないんだ」、「じゃあお疲れ様ですって何なんだろう」、みたいな。
異文化や他言語を通じて、自分の文化や言語を見つめ直すと、意外と面白いものが見つかるのが、異文化研究の面白いところですね。昔千代の富士が何百勝かしてテレビのアナウンサーの「すごい努力ですね」という言葉に対して、立川談志師匠は「ばかか。千代はそれくらい勝たなければ気持ち悪かったんだ」という話を思い出しました。「気になる」「したくない」ということは日常でもあるかもしれませんが、それを持ち続け貫けるのは1つの才能と思います。