【徹底分析】データで見る、渋谷が銀座より強い理由
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注目のコメント
渋谷に住み、ミヤシタパーク近くのパーソナルジムでボクササイズをしている私には、わかりすぎるくらいわかる渋谷の魅力ですが、弊社のデータを使って記事を書いていただいているので、少しコメントさせていただきます。
ひとことでいえば、都市の活力や魅力は、今ではリアルタイム性の高いデータで計測可能になっているということです。実際には①公的統計、②デジタル化された行政記録情報、それに③人流や消費などの新しいデータ(オルタナティブデータ)の組み合わせで見るわけですが、前の記事へのコメントでも共有した「都市再生緊急整備地域」(全国52ヵ所)では、さまざまな規制緩和の効果測定のために、①②③をどう使うかのマニュアルまで出来ています。
https://www.chisou.go.jp/tiiki/toshisaisei/index.html#manual
つまり、渋谷に限らず全国どこでも、同様の分析が出来るということです。読者のみなさんが興味ある街やエリアで試してみたらどうでしょう。大学時代はパルコ前にあったミニシアター「シネマライズ」に通い詰めました。大好きだったシネマライズが閉館したのは2016年。記者になっていた私はオーナーにたまたま取材することができました。
「学生時代、しょっちゅう通っていました!」と話した私に、オーナーが「たくさんの人がそう言ってくれるけど、みんなが『昔通っていた』と言うようになる前に閉めようと思った」と話してくれました。
その時代に求められるものを提供し続けているのが渋谷の強さなんだーー。そう感じてとても強く印象に残っています。2000年代はじめ所さんの目がテンという番組で「渋谷の科学」というテーマで取材をし
渋谷駅地下を流れる渋谷川に何度か潜入しました。
渋谷川は新宿御苑を水源として、童謡「春の小川」の題材となった小さな川で、農村だった頃には水車もあったそうです。
今は下流方面で「リバーストリート」とあえて川であることを生かした開発がされていますが、当時は都会の裏側感が強く
使い捨て携帯だたくさん捨てられている横を小魚が泳いでいる不思議な空間でした。
コンクリートが溶けて鍾乳石もできていて、渋谷地下の東急食品売り場の横を通って宮下公園の下から地上に出るという短いルートでしたがなかなか探検感がありました。
当時の宮下公園はホームレスの段ボールハウス街があって、撮影をしているとそのボス的な人に怒られたりして(本来は事前に許可を取るものだと言われました)、いまの宮下パークからは想像つかない感じでしたが。
もう一つ思い出深いのが1999年→2000年の大晦日カウントダウン
1999年12月に渋谷の象徴的なビルQフロントとあの大型ビジョンがスタートし
あの大型ビジョンで流す用の映像を当時所属していた会社が制作していました。
年越しカウントダウンで流す映像を当時25歳とかだった私が初めてディレクターとして担当することになり、
「ミレニアムベイビー」ということでその12月に生まれたばかりの赤ちゃんを、産院にいってたくさん撮らせてもらい、ひたすら赤ちゃんの顔を連続で映し出すというシンプルな映像です。
何せ初ディレクター作品であの大型ビジョンで私の映像が流れるということで気持ちも最高潮だったのですが。。。
忘れもしない1999年12月31日 11時55分から映し出された私の映像は1分ほどで暗転し2度と流れることはありませんでした。
カウントダウンでスクランブル交差点は狂騒状態となり、地下鉄の屋根から大学生が落ちて結局亡くなる事故も起き、警察からカウントダウンをストップするよう要請が入ったのでした。
あの時の赤ちゃんたちも今頃新社会人かぁ など
と、内容とほとんど関係ない私の渋谷の思い出でしたw