SNSで医師への誹謗中傷が多発する理由ー誹謗中傷は社会を蝕む麻薬である(原田隆之) - エキスパート
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ソーシャルメディアと誹謗中傷の関係は倫理感覚の変化に対する社会ルールのネゴシエーションの真っ只中であるという事に尽きると思います。
ソーシャルメディアによってそれ以前にあった我々の周囲のプライベートな空間はほぼパブリックな空間に変化しました。ごくごく私的な耳打ちのような会話でさえソーシャルメディアがその情報をパブリックな空間に暴露できる構造がそうさせています。たとえ家族や友人といったプライベートな人間関係であっても、当人がソーシャルメディアを利用しているか否かによってその会話空間がプライベートなのかパブリックなのかが規定されます。
ですから、賢明な人はソーシャルメディア離脱を計るわけです。自分がソーシャルメディアから離脱すれば、少なくとも自分の周りではプライベートの濃度が他の人の倍になるからです。それは自分に対する会話での心的ハードルを下げ、人間関係を良好にし、そうした自分のライフスタイルを見た周囲の人々はどんどんソーシャルメディア離脱を計るインセンティブが働きます。そうやって自分の周囲のプライベート空間を拡張できるようになります。
ソーシャルメディア離脱の手法はアカウントを消す事ではありません。アカウントを保持しつつ、メディア特性に応じた必要最低限の情報を発信し、かつ常時発信するメディアを限定すれば、ある程度の離脱効果を得られます。
注目のコメント
いわゆる専門家たちが、自分たちを見て論じているかのようだ。
政界や財界の独裁者も似たような精神構造なのだろう。
組織やコミュニティにおいて、やむを得ず強権を振るわなければならなくなったとき。人はどう振る舞うのか。そしてどのように心の安定を図ろうとするのかの標本として、こういう論説は反面教師として貴重。
極端な殺人予告や人格否定はたしかによろしくない。
しかし、それらとまじめな論争もごちゃまぜにして印象操作を試み、歪んだ正義と断じる。誹謗中傷をやめさせたいなら、まずは自分からやめたらどうか。
例えば、ここを引用する、
「
今になって「そんな必要はなかった」「大袈裟に騒ぎすぎた」などと言うのは、後出しジャンケンのようなもので、後知恵にすぎない。
」
「必要ない、騒ぎすぎ」は、脅迫ではない、普通の意見である。
ただ、殺害予告を紹介したあとにこれを持ってくるので、行間が読めない人には歪んだ人の歪んだ意見としてインプットされる。
で。これに後知恵だの子供じみただのと、子供じみた感想を折り重ねる。仮に専門家なのだとしたら、必要だったのかにまずはイエスかノーかで答えたらどうかね。論争から逃げる。これが誹謗中傷を加速させる。
「ある国で、職務中の警官が暴力を振るって無抵抗の市民の命を奪いました。背景には人種差別がありました。住民がデモを始めて、暴動に発展しました」という設定にしようか。報道で聞くような話。
警察の側から「暴動はよくない、歪んだ正義感だ」と言い出すようなもの。おまゆうだよね。先に暴力を振るったのは誰だったのか。警察は歪んでいないのか。デモの参加者でさえ情弱と言い出しているのが今のいわゆるの方々。
わたしが警察の立場なら、まずは第三者に自分たちのことを語ってもらう。