日本人に必要なのは「やり抜く力」より「やめる力」。朝令暮改のリーダーほど優れていると言える訳
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始める決断より辞める決断の方が難しいですね。地域でももうやめたらいいのに、惰性で続けてリソースを無駄遣いしてる取り組みも多くあります。
トップとかの仕事な一つはやめることを決めることでしょう。辞めることを決めないトップはリソースをどんどん浪費しながら、さらに新しい取り組みを部下に命令するのでブラック化します。中学や高校で部活を辞めてしまうと、基本的には「帰宅部」と言う称号しか残らない。”勉強時間にあてられる”と言う大義名分もあるが周りに部活もやりながらいい成績をとっている友人は数多といる。
他に手を出せる事が無いわけではないが、一般的に多くの学生は学校内に全ての選択肢があると考える。だから自分も高校の頃はサッカー部をしていて多少きついなと思うこともあったが「辞めたら何も残らない」と信じ最後までやめなかった。
だが、大学生になるとそれは一変する。
「何かをやめれば、その分手が空く。」
きついバイトを辞めれば何か楽しいインターンが見つかった時それに参加出来る時間が生まれるし、あまりモチベのない資格の勉強もやめてしまえば自分のやりたいアウトプットに時間を注げたりする。新たなチャンスに飛び込めるようになるのだ。
自分の経験上、大学生活で「辞めて、始めてを繰り返す」生活ができたことは自分にとって辞めることのハードルを大きく下げ、挑戦するハードルをも下げました。社会人になってもその心を忘れずにライトに生きたい。まあまあな極論から始まりましたね。ちょっと勘違いかなと思うのは、今までの悪しき慣習とかをキッパリ「止める」という判断と元々やる必要のないことをわざわざ始めなくて良いという「止める」の判断が、往々にして他人任せになっていることが問題なのです。自分は良い子ちゃんでいたいので、発言もしませんしね。そして、反論したらしたで仲間はずれみたいな視線を浴びせるしね。こんな人材のなかで、意見をくださいと言っても誰も言わないです。勝手にやっていいのです。