社会課題のために「芸術」ができること
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統合的な思考力。30年間、世界のアートシーンを見てきた南條史生さんによる言葉。物事一つ一つを丁寧に見る事は大切ではありますが、目先のことだけに飛びついていては、かえって本質を見失う。ふと去年配信した先崎さんの対談を思い出しました。どういう視点で思い考えることが大切か、ぜひご覧になってください。
一方、アートを巡っては、落合さんが世にある展示の中には「テンプレ、コンビニ」的なものも多いと指摘しています。アートに限らず、世で声高に叫ばれる“大切な事”を単なる「トレンド」として捉えては、本質は理解できないですよね。人類最古のアートと称されるラスコーの壁画は紀元前15000年に描かれたものだとされています。人類の歴史とともにあるアートを通し“本質”について考えられたらと思います。あと個人的に生活の中にアートを取り入れたり、好きなアーティストは?と聞かれた時に数人は即答できるようになりたいと最近思っています。一人は間違いなく落合さんですが...アートをめぐる課題、AI時代についても聞けたらと思います。
【配信後記】
南條さんの話の中で、草間彌生さん、蔡国強さんなど大物の名前がサラッと出てくるところに凄みを感じました。ゴッホの切り落とした耳、驚きましたね。ゴッホの孫と母親の家系のDNAを使って組織培養して再現したそうですが、バイオ技術をアートにする、もうそんな時代なんだと、新たな発見でした。
・作った人間もワクワクしなければ、見た人もワクワクしない
・社会問題はアートで解決はしない。だからアートらしくやって欲しい。
クソ真面目にやると面白くない。
・ルールを疑うことがアート。このルールは本当に意味があるのかと
ぶち壊した時に初めて可能性が広がる。ここがビジネスに似ている。
・人種問題は根深い。ずっと恨み続けるみたいな。戦争もそうで、
その後に仲良くなっても、また噴き出す可能性がある。過去の話はすごく危険。
・目の前のことをどう一緒に解決するかの方が建設的。
でも常にいい結果になるかは分からない。未来の色は紫がかったピンク。
日本のアート市場は対GDPで見るとかなり低いと南條さんがおっしゃっていましたが「料理もスポーツもビジネスもクリエイティブ。つまり誰もが芸術家でありうる」という発想があるとアートとの距離は縮まるのでしょうね。みんな芸術家、良い言葉です。森美術館はキュレーターの方がやりたい展示を、きちんと予算もあるので実現できる美術館だと感じています。
特にChim↑Pom展には驚きました。
会場内に大人数が上を歩けるアスファルトが張ってある…しかもアスファルトの下にも展示品がある…建築法、消防法やら守るのさぞ大変だったことと思います。やりたいことの実現は大変です。
(今開催しておられる企画展もこれまでの森美術館の歴史を振り返ることのできるザ・森美術館という展示でオススメです。)
一方で外部の大スポンサーが付いてらっしゃる展覧会は、集客を狙ったキャッチーできれいな展示が多くなります。
それはそれで良いのですが、私のような変化球系が好きなタイプには少々物足りなく感じたりします笑
でも、海外に行かないで観させていただけることをありがたく思わなければならないのですが
番組内の「展覧会はサステナビリティじゃない」という言葉は、いちアート好きとしてはかなり刺さりました。
しかしながら現時点では、現地で観れるものにはどうやっても敵わない印象です。やはり実物は得られる情報量が多く、その圧倒的な存在感、素材を含むテクスチャー、筆跡などの凹凸、会場の装飾、演出など、遠隔で実現するにはかなりの解像度を持ったモニターや超高性能デバイスなどが必要になります。
でも、将来は映画館派とホームシアター派とあるようにアートも消費されるコンテンツのひとつになるのかもしれませんね。
また、「いい経営もアートと一緒」というご発言も確かにと思いました。私も経営もキュレーションと同じだなと感じます。どちらもキュレーター次第、大変だけど魅力的です。今日は久しぶりに、Whitney museum のサイトを見て。随分と前ですが、Alexander Calder のアートプログラムがすごく良くて、最近はどんな感じだろうと LEARN から去年のイベントを追っていたら、READING スペイン語の詩に出会い。提供されている Mellon Foundation ではこのような取り組みも。
https://www.mellon.org/article/whats-the-point-of-higher-education-in-prison
日本でのアートは認知度が上がりつつ、でも
社会的な意義までには中々至らない感があるように思えます。