【サンデル教授】エリートの「やればできる論」は、他人を駄目にする
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英国でも他者を揶揄する表現や言い回しは多く目にしますが、他都市と比較してリバプールはフレンドリーで寛容な街だと感じています。
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ここ数十年間、アメリカなど多くの国の成功者は「自分の成功は、自分の成果」と考え、思い上がりや傲慢さにつながっています。
そして、自分より恵まれない人々を見下す傾向がある。
苦労している人たち、取り残された敗者は、それ相応の生き方をしてきたせいだと考えるからです。
この信念が広まる社会では、取り残された人々の士気を下げ、屈辱を与え続けます。そしてエリートに見下されたと感じる人々は、憤りを生みます。
勝者と敗者の間に広がる溝、エリートから見下されていると感じる人々の憤りは、アメリカではドナルド・トランプ当選の一因となったわけです。
アメリカだけでなく多くの国でエリートに対する、ポピュリストの反発が起きています。
私が能力主義の問題点を指摘した理由は、ここにあります。
なぜ多くの人たちがドナルド・トランプに投票するようになったか、背景にある憤りや屈辱を理解する方法だと思ったからです。
注目のコメント
私の家庭では、4歳の里子を迎え入れ、14年我が家で養育し、その子は昨年医学部に入学しました。医学部入学が良いのかはさておき、環境によって、成長過程の投資内容によってはアウトカムが大きく異なることは間違いないと思います。
たまたまその子が私達の家庭に来てくれて、私達を受け入れてくれたからこそ
彼女は能力的には私より高く、学習意欲もあり、努力家です。ただこういった結果になった一番大きな要素は運です。
私の経験した1つの例ですが、サンデル氏の主張に強く賛同してしまいます。私はフィリピンに住んでいるので、学力が運だというのはよくわかります。
学習がやれない環境に住んでいる人が、とても多いからです。
たとえ学費が無料であっても、その日の生活のために働かなくてはいけない子供は沢山います。
極端にいえばゴミ山にすんでいる子供たちは、ゴミからお金になるものを探さないと生きていけないのです。
やればできると言える国の人はそれだけで運があります。「偶然」はサンデル氏のキーワードです。
サンデル氏は、経済学者でも社会学者でもなく、政治哲学者です。
そして、サンデル氏が拠って立つコミュニタリアニズム(共同体主義)は、人が属する共同体の規範を重視します。
現代の米国では、数学オリンピックで金メダルを取るような「能力」は、高く評価されるでしょう。
しかし、その能力は卑弥呼の邪馬台国では全く評価されなかったかもしれません。
ある能力が評価されるのは、たまたまその人が属する共同体がそういう規範を持っているからで、時代や地域によって異なります。つまり、偶然です。
ある人の能力が高く評価されるのは偶然の結果でしかなく、その人の属する共同体次第だ、という考え方をします。
サンデル氏はユダヤ人ですが、コミュニタリアニズムは、彼の指導教員だったチャールズ・テイラーとか、北米のカトリックやユダヤ人の間から出てきています。
米国の能力主義というのは、プロテスタンティズムと深く結びついています。信仰と労働の結果社会的に成功するのは、神が与えた結果であり、肯定されるべきものであるというプロテスタンティズム由来の考え方が、米国資本主義の基礎になっています(少なくともそのように唱えられてきました)。
一方、コミュニタリアニズムは、能力も社会的成功も偶然の産物としか考えません。カトリックやユダヤ教らしく、現実の確固とした共同体に拠って立ち、それ無しに社会的成功があったとは考えません。
そして、共同体が個々人の権利を守ることを肯定します。
しかしながら、コミュニタリアニズムは米国ではむしろ少数派であり、いわゆる「リベラル」の主流とも異なります。
米国では、保守、リベラル問わず、プロテスタンティズム的な、能力と努力の結果としての成功への肯定、は非常に根強いもので、そういった成功は単なる偶然であるから、成功者の財産は分配して共同体の共通の利益を優先して守ろう、という主張は、政治的勢力としては弱いです。