「シンショ」は日本だけ!? 新書について考えてみた
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岩波文庫がドイツのレクラム文庫(1867年創刊)を模倣して創刊したのが1927年。
レクラム文庫は、古典文学に加え、哲学、思想や社会科学、自然科学の書籍を安価に刊行し、岩波文庫もこれに倣っています。
日本のいくつもある新書(岩波、中公、ちくま、角川、その他いくつも)は、レクラム文庫やフランスのク・セ・ジュ文庫に比べれば刊行点数が多く、学術を解説するスタイルのものが多いです。
日本ではなぜ新書が多いのか、は、やはり日本人がべらぼうに本を読むから、が1つの答えでしょう。これは出版市場が人口の割に大きいということもあるし、学術入門書みたいなものでも結構売れる、ということでもあります。
もっといえば、エリートと労働者階級の差が明確ではない社会である、ということもあります。
なお、トータルでいえば、世界の国々の多くで、日本と遜色のないくらいには日常的に文字が読まれてはいますが、それは聖書であったり、クルアーンであったり、仏典であったりします。日本社会では、そこに時間を割く人は少ないです。
それから、米国とかだと、アイビーリーグとかのエリートは本を読みます。そもそも本をたくさん読まないと授業で単位を取れません。しかし、それは人口のごく一部です。
日本は、明確なエリートというのがいない国で、しかし、エリートでなくてもそこそこ本を読む国です。初心者がわかるように簡単に書くのは難しいです。次の条件を満たさないとできないからです。
1. (その分野について)何も知らない、という状態を想像すること
2. (その分野について)何も知らない人たちが理解できる言葉を使うこと
3. (その分野について)何も知らない人たちが理解できる言葉を使って、正確な情報を伝えること
これはその分野について熟知していないとできないことなので、易しい本であればあるほど書く難易度は上がります。(すべてを言語化しないと、相手には伝わらないので)
> とある編集者の切実な言葉が胸に響く。「お手軽な本を作るのって、すごい大変なんです。お手軽な本をお手軽に作ってると思ってる人って世の中にはいると思うんですけど、お手軽な本って実は作るのは大変なんです。だから教養書は作るのが大変だと思います」。「新書の謎に迫るとっかかりのひとつに「わかりやすさへの探求」があるのではないかということを最近考えるようになった」
わかりやすい新書を出すためには、新書以外の「わかりにくい本」もたくさん読まないといけません。