中身がないのに「すぐ講演する人」の増殖で起きている大問題
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多分こういう記事を書く人(おそらく多くの人)の頭の中では「講演は実務スキルが100に達した人が、その延長線上でするもの」という世界観なんだと思う。
でも実際は「実務スキル」と「講演スキル(体系化・言語化・話術)」はパラレルに存在するので、実務レベル40の人でも60の人でも講演は可能。
多くの賢い聴衆は話を聴けばレベル感が分かるものだけど、知見がジュニアなうちは60と100の区別がつかず、それを傍から見てわざわざ書いたのがこの記事。
一方で露出が多いと自分では60の人だと思っているのに100の人みたいに扱われて、それはそれで面倒くさいなと僕は思っています。
注目のコメント
私自身も起業のきっかけは実はセミナーでした。
当時の保険の営業をしていたころ、企業保険の開拓のために経営者と接点を持ちたくて、経営者の集まる場で何か講演できないか?と言われたことがきっかけでした。リクルートで学んだ経営企画のノウハウを資料にまとめて講演したところ、保険ではなく経営の相談が来るようになり、起業に至りました。
当時はもちろん、そんな経営企画のノウハウが人様の役に立つなど思いもよらず、むしろリクルートの中でしか通用しないだろうと思っていました。人前で講演などすることもなかったので、全く手探りでした。しかし、講演するという機会を頂けなかったら、自分の培ってきたキャリアの価値に気づくこともなかったと思うと非常にに良いきっかけだったと感じています。
人前で話す、ということはまさに自身のキャリアやスキルの棚卸しになります。また、スキルがある人ほどこの記事のように、私に話せることなどない、と思いがちなので、自分の気づかないスキルの市場価値を最もよく図れる場でもあると思います。
ですから、私は講演する機会を自分で作ることも含めて、とても良いことだと感じています。その内容に価値があるかどうか、を判断するのは、聴く側の能力に委ねられるところもあります。また、いずれあまりノウハウがない内容であれば、それで生計を立てられるほど続けられないはずです。むしろ評価されることを恐れるより、評価されて価値がないと言われた方が、後々自分にとっても良いフィードバックになるので、臆さずどんどん前に立って欲しいな、と私は思っています。私は自社のビジネス上(スピーチトレーニング)「講演しなければならない人」なので、自分の実績かのように語り、目立ちたがりで中身のない人を「講演したがり」という表現に落とし込んでいる本記事には複雑な思いだが、こういう側面もあるのだろう、と拝見した。
そもそも講演は、他者の行動誘発であり他者のために存在しうる空間なので、自意識の拡散・教示のためにやってる方がいたらやめた方が良いと私も思う。
本記事で言う「沈黙の人」に与えられる解決策が弊社の伝え方トレーニングなので、当事者だと思う方がいらっしゃればぜひkaekaをチェックいただきたい。「すごい」と言われる人を「すごい」と思う人
けっこういますよね。「すごい」と言われた人は、どんどん「自分はすごい」って思い込んでいく。
そして「すぐ講演したがる人」が生まれるんですね。聞いたことがない「すごい人」が自称だったりすることもあります。