「高学歴」の二極化により、頂点に立つのは「教育」になんの価値も見出さず、中退して自ら事業を起こす「とてつもなく賢い若者」
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今だに「教育」という概念が変わらない。「education」が苦手なままの日本では、大学だけでなく、小中高すべてにおいて価値が見出せなくなっているように思います。
「教育」と「education」はそもそも同じ意味ではなく、教育は師などが弟子や子ども達に教えこむこと、educationは能力を引き出し伸ばすこと。15年ほど前から、弊社が行う研修ではこの違いを知っていただくことからスタートするようにしたところ、多くの方が引き出された経験をしていませんでした。これでは何を学ぶにしても面白くなく、教育に価値を見出せるわけがない。
教えこむことも必要ですが、誰が何を教示するかに人は左右されます。教えるべきことが何かが整理され、優れた部分を見出し伸ばせる環境を学校側が整えられれば、学ぶ意味や価値を見出せるのに、中退してしまうのは少々もったいない気がします。
とは言え、国としての教育の位置づけや基本法その他諸々が絡み、日本の教育のあり方や方法は簡単に変わらないので、「とてつもなく賢い若者」たちの起業は大いに賛成です。
注目のコメント
橘さんですか。賛否両論ありますが非常に社会の歪みを文章化するのがうまい方だと個人的には思っています。
社会で頂点に立つ
→医学部、理系院卒など高学歴
もしくは
→若年の間に事業を起こした若き才能
の二極化。
確かにそうかもしれません。
元々文系大学(教育学部、国史、国文がありました)にいましたが、理系の院卒などには歯が立たないということは思っていました。結局文系院卒は社会で活躍できる場は少ないですし、悔しいですがその通りかなと思います。それであれば早く起業して社会で経験を積むことこそ必要という意見も真っ当ですが、これでは文系大学の意義がなくなります。
個人的には、文系大学(に限らずですが)では、この混迷とした時代において哲学や倫理などこの世界を切り拓く学問を高めること、とともに日本の伝統文化などの継承といった意義が問われるかもなと思っています。中退して事業を起こす若者もいる。
それだけのことです。学歴の価値がなくなったということではなく。学歴も独立も人生の一部ですから。
画一的な成功パターンなんてありません。経験をどう活かして人生を創るかは、自分次第ですよね。デビュー間もない頃のタモリの口癖が
「才能のない奴は大学へ行け」
さすがに今の時代、これを口にすることはできないものの真理は突いているように思います。
才能にはいろいろありますが、勝負の世界を除いた一般論で求められるのはセルフプロデュース力でしょう。これに自信と実績がなければ大学や専門学校などに進学したほうが無難ではないかと。起業と経営は全くの別物、起業は誰でもできますが経営はそうじゃない。