【お盆に読む】そろそろ「介護」を考え始めてみよう
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介護はある意味、終活とも言えます。人生の最後をどう迎えさせてあげられるのかと考えると、介護する側としては多少無理してでも頑張ろうと考えがちです。
介護が短距離走ではなく、マラソンであると認識する事が重要です。走り抜けるのではなく、如何に精神的身体的負担を減らせるのかが鍵です。介護する側もされる側も、どちらも人間なので、無理な環境で介護を続けてしまうと、限界を迎えることになってしまいます。
双方にとって最もハッピーな形はどうなものなのか、介護が始まる前からしっかり話し合ったり、ケアマネさんと相談をする事は重要な事です。
介護疲れに繋がると、介護は雑になり、段々と介護に対してネガティブな気持ちになってしまいます。お互い快く過ごしていくためには、介護される側だけでなく、介護する側の環境も整えてあげる必要があります。働きながら介護をする、とはどういうことか?本日から2日間、「ビジネスケアラー入門」と題して、介護と仕事の両立についての記事をお送りします。お盆の帰省シーズンにぜひご一読ください。
私自身も、今年の春に母が両足を骨折し、身の回りの面倒を見ながら仕事をする、という経験をしました。(妹と分担していたこともあり)入浴の手伝いにせよ、食事の準備にせよ、一つひとつのタスク自体はそこまで重くないのですが、細々と作業が発生するため、とにかく仕事の脳に切り替えるのが大変。さらに、同居の祖父母(ともに80代、要介助認定も)のことも考えて......と、ややパンク気味でした。
幸い、母は3カ月ほどで完治しましたが、仮にこの期間が長く続いていたらどうなっていたのか?祖父母のどちらかの要介助状態がさらにあがったら?そんなことを考えざるをえない日々でした。
今回さまざまな専門家や当事者の方のお話を伺って強く感じたのは、「どれだけ外部の手を借りれるか」が介護と仕事の両立の肝になるのだ、ということ。もちろん、親御さんがヘルパーさんの手伝いを拒む、といったケースもあり一概には言えないのですが、自分で背負いすぎない、というのがシンプルながら強力なソリューションだと感じました。
プライベートに踏み込む話ではありますが、ぜひ皆様の介護のエピソードもお寄せいただけたら嬉しいです。親の介護を10年近くしましたが「自分でやろうと思ってはいけない」は本当に実感しました。
最初は骨折をきっかけに車いす生活になった母親の介護を、父と私と妻で見ていましたが父が介護で疲弊して精神的におかしくなり家が修羅場となりました。
施設への入所を勧める私たちと自分で妻の面倒を見たがる父。
言うことを聞いてくれず精神的におかしくなった父と口論になり階段から突き落とされそうにもなりまいした。
狂ったように叫び暴れる父に、身の危険を感じ救急車と警察を呼んだこともあります。
その時の教訓として、他人が入ることで人は冷静になれるということです。
私の言葉に耳を貸さない父も、ケアマネージャーさんの説得で母を施設に入れることを承諾してくまいした。
その父も今は施設で幸せそうに過ごしています
あと、無償で利用できるサービスや減免を得るための申請など役所は聞かないと教えてくれないので何でも聞くことが大事です。
知っているだけで毎月数万の出費がかわります。
その時が来てから動くのでは遅いです。
そしてその時は突然訪れます。