大学進学は誰のため フランスから考える高等教育無償化
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大学の存在意義に関して、現代もう一度考えるべきだと思います。国や社会を作るのは国民であり、その国民を育てるのは大学含めた教育機関です。また教育機関の役割としては、フランスのように資格取得等、国、社会に寄する国民を育てることもありますが、民性を育てることも重要です。民性、それは例えば考える力や行動する力、教養、人間性といった創造的精神です。大学は、資格や技術を学ぶところでもありますが、本来は大学はこれらを養う場所だと私は思っています。
しかし、これらを問う前に日本は小中高の教育も同時に見直すべき時に来ていると思います。高校は商業高校だったのでそこまで勉強勉強!という感じではなかったのですが、他の高校、友人を見ていると大学受験のための教育課程になっているような気がします。
小中高の詰め込みからの大学では就職のための準備期間(またはモラトリアム)のように見えてきて、これではまるで『人材製造工場』です。これでは民性は中々育たないと思いますし、社会は良くならないと思います。
『高等教育は誰のため』か、存在意義を考えると同時に、『教育とは何のためか』を考える必要もあると思います。最近は小中高大も今まで通りの「当たり前」が良い意味で崩れ始めてきているような気がしています。
オルタネイティヴスクールや通信制学校、休学など、色々な選択肢が増えてきている中、そもそも学校とは何なのか、見直すべきタイミングだと思うのです。
何のための無償化なのでしょうか。何のための学校なのでしょうか。一人一人違うと思いますが、その一人一人にできる限り寄り添えるような社会が今後数十年で創り上げられるといいなと、楽観的ではありますが考えています。仮定を排して結論だけ言うなら高等教育の無償化は日本においても就労先の拡大や国力増強には必要ですし、推進すべきです。行きたいのに行けない人を減らすのは絶対です。
ですが、学力の格差以前に家庭の進学に対する価値観、地方の進学率(特に女性)の格差、職の供給バランス(ブルーカラー、ホワイトカラーとか)、給与面の是正など触るプロセスを間違えないのが非常に重要かと思います。
過去博士を増やすだけ増やして高学歴ワーキングプアを大量に生んだことは、博士の身として恐怖してますし、無理な推進は犠牲者を排出するだけです。
肉体労働者の方が希少になりつつある中、頭脳労働従事者が増え過ぎても需要と供給のバランスが崩れてインフラ壊滅レベルの話につながりかねません。
ある種、人の増加は自動化などにも寄与しますが、最終的な受け皿がどの様に整備されるのか、企業、福祉、自治体などあらゆる連携が取れて初めて実現すると思います。
願わくば、個人の評価のために犠牲者が出ないことを祈ります。