安宅和人氏が語る「AI時代」こそ必要な"生体験"
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インプットとアウトプットという言葉に置き換えて解釈をすると、
AIの発達でインプット(情報収集)を容易にできるようになりましたが、深みのあるアウトプットに貢献してくれるわけではないのかなと。
インプットが容易になったものの、あくまでそれは作業的に情報処理してるに近い感覚があります。
結果的に自身の記憶や価値観として定着せず、言語化をはじめとするアウトプットに繋がらないのかなと。
簡単にインプットできる環境になったからこそ、
「背中を見て学べ」とまでは言わずとも、自分の頭・全身のエネルギーを使ってインプットする機会を大切にしていきたいですね。
注目のコメント
生成AI時代に求められるのは知覚の深さと質、それは経験から育まれる。だから知覚を深め、問う力を養い、深い知的体験を得られる教育が必要とのこと。
私も生成AIを使いこなすには、質問力・指示力に加えて評価力が大事、評価力を向上するには知識と経験が必要と言ってきました。そしてAIをパートナーとした独学が有効と考えます。だからとても共感しました。
最後の、AIは悟りを開いた、人間は煩悩を大事にするのが人間の良さ、というのは救われますね。
<以下引用>
私たちがイラつくような状況でも、AIは実に淡々と作業をする。これがAIの醍醐味だ。人間はこれまでずっと煩悩から解放される方法とか、心の平静を保つ方法を追い求めてきたが、AIはそれを実現している。その意味でAIは、悟りを開いた、ブッダ状態にあるといえる。AIが「解脱」をしたことで解脱の価値は下がり、対して、解脱をせずに、煩悩とやりたい気持ちを大事にするのが人間の良さということになる。“AIと共存する社会で求められるのは、意味のある問いを立てること。出力された答えを正しく評価して、さらに正しい指示につなげる力。”だそう。
AIがネット上にある情報の最適解を示してくれるからこそ、私たちは間違っていてもいいから自分の体験や感覚に基づいた表現ができるようになる勇気をもちたい。
ここで勇気という言葉を使ったのは、正解を求めすぎずに自分の意見を表現することは、現代人が最短ルートで答えをだすことに慣れすぎて、待つことや、タイムパフォーマンスを意識しない時間を過ごすことに恐怖すら感じているように感じるから。
まずはスマホをおいて、今日は何をしようか、何を考えるか、からスタートかもしれないですね。明確な言語化や定量化が難しい概念を統合的に理解・識別するための「知覚」を育むための“生体験”の重要性。データ化されているモノに対するAIの理解が深まる中では、人間は人間らしい強みを活かすことでうまくAIと共存できる。
知識や論理的思考力などを求める通常の試験では測りにくい部分の重要性が高まる中、教育がどうあるべきかは考える必要がありますね。