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こうして「日本」は誕生した 【時空ミステリー 飛鳥編】

NewsPicks Studios
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  • NewsPicks Studios WEEKLY OCHIAI プロデューサー

    聖徳太子が活躍した飛鳥時代は、一気に世界が広がり、外交上の戦略、中央集権化に向けた施策や政争など、様々な人間模様が垣間見られる中で国づくりが進み、「倭」から「日本」に変わる過程が見られる鍵となる時代です。個人的に気になるのは、仏教と同時に儒教も伝わり、天武天皇の時代には歴史書の編纂が開始され、のちに古事記や日本書紀となるのですが、仏教と既存の神々、儒教がどんなバランスで保たれていたか知りたいです。また、なぜ聖徳太子は強気な国書を送ったのか?気になる点は沢山ありますが、国づくりのルーツを皆様と旅できたらと思います。久しぶりに観た「踊る授業シリーズ」が面白かったので、マインドを歴史に切り替えるきっかけにどうぞ↓
    『小野妹子 -遣隋使-』
    https://youtu.be/6ad02CEVl9Y
    『聖徳太子』
    https://youtu.be/rzRcfAYNblc

    【配信後記】
    古代の大王の適齢期が40歳くらいと聞いて、今とは色々違うなと思ってしまいました…。飛鳥時代は各国の思惑で外交が繰り広げられ、例えば百済が仏教を日本に伝えたのは①ボランティアではなく文化的な落差を見せつけるため②高句麗や新羅との対立の中で“傭兵”を求めたため、というように戦略がベースにあったわけです。その一方で日本は、医術や思想や建築技術など複合的な現世利益として仏教はオイシイ話であり、さらに当時は仏を「蕃神」つまり外国の神として、日本の神様たちとあまり差別なく受け入れたというのは興味深かったです。最初は隋から相手にされないどころか「未開、野蛮、無礼」という罵詈雑言が並べられたが、その後、冠位十二階や十七条憲法を制定し、法隆寺建立を経て「日本のOSはちゃんとしてるぜ」と伝えられるようにしたというのは、まさに戦略だったといえますね。

    ・聖徳太子の国書が強気なのは、中国の情報をアップデートできていなかったから
    ・蝦夷を中国に連れて行ったのは、文化レベルが高いと見せるため
    ・次第に「選択的に」中国の文化を取り入れるようになった
    ・豪族をどう天皇のサラリーマンにするか
    ・「和をもって貴しとなす」は豪族間の争いをなくすため
    ・大宝律令から現在まで続いているのは「ハンコ行政」
    ・漢語の音博士がいた
    ・三韓征伐は「貢物をもらう権利がある」としたフィクションだが...

    時間があっという間に過ぎる対談でした。


  • 公式アカウント

    【6月7日(水)よる10時~】WEEKLY OCHIAI『こうして「日本」は誕生した 【時空ミステリー 飛鳥編】』を生配信します。

    飛鳥時代を知ることは、国づくりの「ルーツ」を知ることに他ならない。
    120年あまり続いた飛鳥時代は、日本の歴史区分としては決して長くはないが、今風に言えば、あらゆる“イノベーション”が起きた時代であった。天皇を中心とした律令国家を目指す政策が推し進められ、「日出処の天子、書を日没する処の天子に致す」に代表されるように、大国の隋などとの外交上の“駆け引き”が行われ、さらに貨幣が初めて作られるなど、まさに「クニ」としての礎が築かれたと言える時代だ。
    中でも、大きな改革の一つが、仏教の導入。聖徳太子は、法隆寺の建立の他、「和を以て貴しと為す」「あつく三宝を敬え」とする『十七条憲法』を説くなど、積極的に仏教の教えを取り入れたとして知られている。飛鳥時代の政治の本質と仏教との関係とは? 「国づくり」が大きく進むなかで、社会システムや人々の生活はどう変わったのか?いかに日本文化の基礎が築かれたのか?
    国立歴史民俗博物館の仁藤敦史教授を迎え、落合陽一が“日本初”ずくめの激動の世紀を通して、「日本誕生」の真相を探求する。
    ※ライブコメントからの【質問】に答えます。

    ゲスト:仁藤敦史(国立歴史民俗博物館・教授)


  • フリーター

    古代の近代化(日本が国っぽくなった)がなぜ起こったのかは中国や韓国などの外国との関係で下手したら滅ぼされるかもしれないから、それまでの豪族だらけでまとまりがなかった国を、一つにまとめてあの有名な聖徳太子の名文句「和を以て貴しとなす」が生まれたというところが興味深かった。日本という国のOSが出来たのがこの時代で現代にも通じるものが既にあったというところにロマンを感じました。聖徳太子には10人の人が言ってることを全て理解していた。という逸話?もありますが外国のことや国内のことを考えていたら激務、プレッシャーだったんだろうなと…お疲れ様です。と労いの言葉をかけてやりたくなりました(笑)


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