職場にいる「頑張り屋なのに仕事ができない人」と「頑張りが結果につながる人」の決定的な差とは
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「頑張る方向性を見極める」、これは一つの真理でありますが、他人ベクトルで見るか自分ベクトルで見るかによって変わってくると思います。
選択と集中は必要ではありますが、周りに無駄だと言われても、自分にとって必要だと思えることが将来的に形になって、次に繋がっていくのではと思います。
他人の意見を聞いて、自分よがりにならないように気をつけて自分の道を貫くっていう結局そういうことなんでしょうね。
注目のコメント
私自身の個人的なキャリアを考えると、「他人に評価されない無駄な努力がなければ、今の自分ではなかった」と自信を持って言えます。
例えば、過去には、グローバルとコミュニケーションをする業務をしていた時、パワハラ上司から「英語を勉強しても評価しない」と言われたこともあります。その上司からは、何をどれだけやっても、結局何も評価されませんでした。
薬剤師時代には、薬や疾患の勉強ばっかりしている「頭でっかち」は評価しないと言われたこともあります。薬剤師なんて、ショップ店員みたいな接客だけしていれば良いなんて思っている経営者、管理職は少なくないものです。
私がこれまで努力してきたことのほとんど、英語の勉強も専門知識の勉強もランニングも行動変容理論も認知行動療法もマーケティング理論もその場では評価されていません。
これら、評価されなかったインプットの掛け合わせによりオリジナルなアウトプットができるようになってきたのは、ここ数年のことです。多くの無駄なインプットがなければ、今の私の仕事はできなかったと、自信を持って言えます。
自分が何を努力すべきか。他人の評価ではなく、自分の信念で選択しても良いのではないでしょうか。ガリレオの地動説もアインシュタインの相対性理論も、当時は評価されていませんでした。
コスパを重視し、無駄を排除すると、誰にでもできる定番のアウトプットしかできず、多様な人達の価値観を想像できす、イノベーティブな創造ができない、つまらない人間になってしまうリスクがあります。気づきと新しいアプローチですね。
同じやり方しかできないと、そこが限界になってしまいます。
成果を出すために、求められていることと自分ができることを一致させる。
求められていることを客観的に整理できないと求められていないことばかり頑張って、無駄な努力に終わってしまう気がします。評価は求める人がすることですから。
その上に自分のやりたいことを築いていくイメージですね。