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【週末論考】変わっているのは「我々」か「あの人たち」か

NewsPicks編集部
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  • 筑波大学 開発人類学

    文化人類学では、フランツ・ボアズが主張するような文化相対主義に基づいて社会や文化を分析し理解することが現在は主流です。というのも、ダーウィニズム的に人間社会も理解することが主流だった時代があり、自分たちは先進的な文化を持っていると感じた人々が、発展していない、いわゆる未開社会の文化は劣っていて、そこの人々は野蛮である、という何とも自己中心的な価値観で異文化を見下す態度で異文化を解釈してきていました(西洋中心主義)。その反発として生まれたのが文化相対主義です。

    西洋ではありませんが、先進国と言われる日本で生まれ育った私たちも、無意識のうちに西洋中心的、資本主義的な価値観が思考の根底に少なからずあると思います。そのため、見知らぬ宗教の理論や、見知らぬ地域の慣習などを見て、理解不能だ、なんて非合理的なんだろう、と思ってしまうことはしょうがない。

    その自分の思考の癖や、自分が何を当たり前だと思っているか、根底の部分を客観的に理解したうえでそこから脱却すること。異文化を異文化の立場から構造的に理解して、そこで「普通」とされている価値観を探ること。そしてそれらに基づいて自分とは別の視点から異文化を見ることが出来てはじめて、本当の意味で異文化理解が可能になるのではないでしょうか。

    文化人類学を学んでいる身として、この手法を取ることの面白さは、学問的な異文化理解だけでなく、国、企業、家族、一人の人間、など、どんなレベルでも使えることにあると思っています。家族であっても所詮他人。自分以外全員他人で、それぞれが別の世界を持っているわけで、他人のことを知るということは、一番小さなレベルの異文化理解だと言えるでしょう。個人的には、恋人の異文化理解が一番面白いです。喧嘩は異文化理解の絶好のチャンスです。感情的にならず、自分を押し付けず、相手の思考、価値観の根っこにあるものは何かを知り、自分との違いを見つける作業を行い、根本的な原因と実践的な解決策を冷静に見つけていきます。喧嘩してるくせに俄然燃えて楽しくなってきます。

    自己を消し、本気で他者の立場に立って物事を考えることは簡単ではありませんが、そうやって本当の意味で他者を理解し、理解されることが、十人十色の人々がこの世界で一緒に生きていくうえで必要なことだと思っています。


注目のコメント

  • ノンフィクションライター

    日本で暮らしでいると、無意識に自分たちや西洋の常識が世界のスタンダードのように考えがちです。でも、長い人類の歴史と社会全体を見渡すと決してそうとは言い切れません。では、西洋以外の社会での常識とは?
    今日はそんな、目の前の仕事に直接的には役立たないけれども、俯瞰して社会を捉えられるお話をお届けします。


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    OpenWork 代表取締役社長

    この記事にある"WEIRD"はレヴィ゠ストロースの「西洋の知で世界を見るな」という話にも似ている気がしますね。


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    NCB Lab. 代表

    WEIRDは西洋が起点、東洋を起点に考えたらどうなるでしょう。中でも日本的な視点で捉えるとずいぶん違った結果になるのではないでしょうか。


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