人間同士の「対立」が激しくなっている納得の理由
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この欲というもの、社会をよくしたいとか、まわりの環境に対する欲望はあっても、自分自身そのものに対してが無欲であるリーダーは強いというお話が以前身近なところであり、納得でした。自分自身は1番わかりやすい権威を得た時に、でもその権力や権威は長続きしないので、次のしかも上を狙いたくなるのが大半かと思いますが、そうではなく一からのスタートでも別に構わない形であれば、対立構造にならないはずです。
ゴーイングマイウェイの人が1番強く、対立を気にしないと思いますが、一方である程度のライバルや対立関係は、やる気は挑戦、刺激をもらえるよいスパイスでもあるように思います。相手の真似ができないから違うパターンを、と繰り返していくうちに自分らしさを形成することにもなりますし。対立があるから、そこに向かって常に頑張れる自分であればいいのですが、対立からそのモチベーションを得るのではなく、本来は自分自身との戦いといいますか、自分を高めるためのエネルギーとして使いたいものですね。他人のSNS投稿なんて見なければ良いのですよw
私は殆どSNSで他人の投稿は見ないんですよね。
Facebookは広告多いし、Instagramは芸能人とかの投稿が多いので自分とは別世界、Twitterは情報収集として特定のタイミングでの検索のみで使い、TikTokに至っては使いません。
そもそも自分の中での幸せの価値観をしっかりと識別していれば他人の動向なんて気になりません。仮に見ても、それで自分の欲が動かされることもない。
まずは自分の幸せの価値観をちゃんと自分の中で識別することです。「私たちは通常、模倣というと、相手がやっていることを自分も真似るというポジティブな意味でしか考えませんが、実はネガティブな意味でも模倣は起きる。相手の行動を参考にしながら、自分は違うことをしなければならない、と考えるのです。」
ライバルが射止めた共通の思い人を、自分がもっと素敵な人をと思う気持ち・・・のようなものでしょうか。
激しくなっているというより、ずっと対立し続けるものである理由なのかもしれません。