私たちは本当に「幸せ」になりたいのか:至上の呪いと向き合う
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「配偶者がいるから」、「恋人がいるから」、「子供がいるから」、「お金があるから」・・・「幸せ」なんてのは、自分の中で相対的な優位性を勝手に設定して、それを幸せと錯覚しているに過ぎません。
スピリチュアルなことを言うつもりはないけど、結局幸せとは、朝の日の光、柔らかい雨、一杯の水、そういう目の前のもの、ひいては生きて存在していること自体に喜びを感じることじゃないでしょうか。
冒頭に挙げたようなものが自分には一切ないことを嘆いているうちに、そんな風に考えるようになりました。幸せになりたい。
ではなく、本来我々は「ただ生きているだけ」で幸せだ。
私達の資本主義と、ヌエル族の牛至上主義?の2つの主義が求めているもの。
他にも幸せの基準はあるだろうがひとまず
生まれ育った環境で、幸せのベクトルが違う。
資本主義ではお金。
牛主義は牛に。
どちらの幸せも、物質があることが大切でそれが無ければ不幸。比較の中にある。
本当に全ての人類が、
物が側にある事に幸福を求めるのかだろうか?
比較の心は、その人自身を蝕む。
ひとまずこの不思議な生命の存在に感謝する事。
お金も牛も、自分が生きているから認知することができる。
それに
我々はまず、その生命がある事に幸福を感じる事。
牛が生きている事に感謝している、ヌエル族には人間以外の生命への感謝を感じる。
我々は1日の中で、何回、他の存在に感謝しているのだろうか?
その感謝の量が、人類の幸福や豊かさだろう。幸せ 呪い🤔
昨日、呪物収集家というかなり気得な方が
たまたまついていたTVでやり始めて、甥と2人で、これ!見たらやばいやつやん!やばい!
集めてるって何で⁈
そして出てくる特級呪物
特級て何や!
呪術廻戦か!
やばいやばいやばい!
(でも、見てる)
二重に包まれた布から出て来たのは....?
これ、聞いたら幸福になりそうな人は遠慮なくおっしゃってください。
呪物収集家の方は、お幸せなんでしょうね。
と、呪いと幸せについての一解釈でございました。