【海外8冠】「陰キャ」のロック作品が世界中でバズった理由
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ぼっちちゃんが路上で演奏してる時に、ファンが頑張れーと声をかけたけど、自分もぼっち頑張れって感覚になってたように思います。
そして、自分陽キャなようで隠キャな感じで、バンドをやっていた時期もあって、自分もと重ね、自分を頑張れと応援してる感覚になっていったようにも思います。
普段アニメとかはあまり見るタイプではなく、たまたまバンドだったから見出したらハマってしまったので、アニメにかかる時間とかお金とか分かってはないんですけど、ぜひ続きがみたいなと思ってます。
注目のコメント
わたし、大好きです。アニメから入ったのですが何が良いかと言うと、主人公のぼっちちゃんがコミュニケーションが苦手なのに承認欲求の塊なことに非常に共感が持てます。そのための努力は人一倍するけれども人前だと上手く出せない。そんなダメなぼっちちゃんが仲間の信頼を得たり、奮起して大活躍したり、そんな場面に本気で嬉しくなり涙しております。不器用な私自身の“憧れ“を重ねているのでしょう。
作品の質も高く、例えばバンドが噛み合っていない時は本当に演奏が下手になっている。この辺りも作品に華を添えていると思います。
熱く語ってしまいました。失礼しました。
追記:皆さんの愛ある分析コメントにまた涙しています。なんだろう、ぼっちちゃんが褒められると自分も嬉しくなるのです。不思議な感覚。まかのぼざろで特集一本とは...。
以前は、ビジネスサイドとオタクコンテンツは一定の距離があったと思いますが、どんどん縮んでますね。わかりやすく世界で通用しているからでしょうかね。
それはさておき。
出版社もとい編集者としてもコメントしておきますと、ぼざろは明らかに、アニメのクオリティが高かったことがヒットの要因ですね。
これは鬼滅でもそうだったんですが、近年のアニメヒットは原作以上のクオリティをアニメで出すということができてヒットしています。
これをやるためには、それぞれの媒体が持つ特性を理解する必要があります。
ぼざろは漫画の場合、きらら作品ということもあり、絵柄も可愛く、ゆるい雰囲気で続くコメディ作品という位置で作られていますが、アニメは『バンド作品』という側面が強化されてます。
理由は簡単で、アニメは音と映像が使えるからですね。
これは、けいおん!のヒットでもありましたが、音楽をテーマとする作品のヒットには、日常シーンと演奏シーンとのギャップが必要で、『音楽としての質』がとても重要になります。
その点、ぼざろは作詞作曲を今最前線で活躍するアーティストに依頼して、アニメと合わせて一本アルバムを作るところまでやってます。
その上で、ボーカルとなる声優さんはちゃんと歌が上手い人を持ってくる形ですね。しっかりトータルで音楽としての質を上げることに注力したからこそ、あのゆるい作風と音楽としてのガチさが合わさって、ギャップが生まれたというのがぼざろの面白さにつながっていると思います。
さらに僕がすごいなと思ってるところは、アニメ放映後の熱の維持のさせ方で、アニメ終わってからも声優さんのラジオや結束バンドとしてのリアルライブイベント、そして総集編の劇場版と、どんどん繋げています。
アニメのなかで生まれたバンドがアニメの枠を飛び出すというのは、ギルティクラウンから生まれたEGOISTが最初ですが、ほんとコンテンツの派生力とそれを生み出すプロデュース能力の高さには脱帽しますね。
うちもコンテンツ企業として頑張らねば。ぼっち・ざ・ろっく、おおいにはまりました。アジカンも大好きなので、ダブルで幸せな作品でした。エンディングの「転がる岩、君に朝が降る」のカバーは、この作品の空気と視聴後感に最高にマッチしてましたね。
記事中に編集目線でさまざまな演出の意図などが語られていますが、振り返ると、テーマ・キャラ・絵柄・音楽それぞれの設定や設計に、とても秀逸さがあふれている作品だったように感じます。
悪者をつくらないキャラ構成や「イキってすみません」という決め?セリフや陰キャ×ロックというテーマは、今の時代感をとらえていて、陰キャ成分80%/陽キャ成分20くらいのtwitter的ブレンドにドはまりした印象。
特に「学校のクラスの端っこにいるような子がロックバンドをやる風潮が2000年代半ばごろから出てきた」という話は、なるほどと思わされました。記事中にある「誰しも100%陰でも100%陽でもない。両方持っている」ではないですが、内なる多様性=イントラダイバーシティ的な「自分らしさ」の微妙なむずがゆさを見事にとらえて、共感を獲得していったんだろうな、と。続編も楽しみです