なぜ戦士と英雄は誕生したのか?【時空ミステリー弥生・古墳編】
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多くの人にとって身近な存在で、海外の観光客からも人気を集めているものといえば、どこでも目にするコンビニですが、日本全国のコンビニの数よりも圧倒的に多いのが、実は、古墳なのです。そんな数の上では超身近な古墳、そして我々の主食である米といえば弥生時代ということで「弥生・古墳編」です。関連動画の縄文編を観ていただけると嬉しいのですが、縄文時代でも資源として物や人を集落間で交換するなど、わりと“社会”というものが発達していたんだと驚いたのですが、本格的な水田稲作がスタートした弥生時代からは、生産・秩序・権力が生まれた点で、社会や人間の本質のルーツを読み解くための鍵となる時代だと言えます。縄文時代までなかった“戦争”の概念は弥生時代に生まれたそうですが、どうやら自然発生的に誕生したものではないようです。さらに、その後の時代に見られる古墳は、権力などの象徴という見方が一般的ですが、当時の人々がどう古墳を見ていたかは私たちの想像とは違っていたといいます。なぜ、古墳は作られるようになったのか?そしてなぜ忽然と作られなくなったのか?なぜ各地の前方後円墳は同じあの形なのか?弥生から古墳に至るまでの思想の変化とは?皆様と古のミステリーを探求できたらと思います。
【配信後記】
多くの方に観ていただき感謝しております。縄文時代以前も、もちろん喧嘩や殺人はあったが、それまで存在しなかった対人用に特化した武器が、弥生時代になってから「米」とともに朝鮮半島から伝来し、戦争という概念が生まれたというのはとても興味深い話でした。集落の守備のために堀を作るという設計も弥生からだそうで、明確に「内と外」を分ける感覚の歴史が古いことに驚きました。
・戦いの思想は農耕とパッケージ
・未来や危機に備えるという「プロジェクト思考」
・同じエスニック集団というアイデンティティが広く共有されていた可能性
・卑弥呼を女王に立てることにより統一されるも地方勢力は残るという極めて特異な国家形成。その表れが古墳の多さ。
・鉄を中心とする経済圏が九州から関東に広がり、近畿はハブとして機能
・日本の古墳が巨大な理由は高さを重視する土着のカルト
・古墳がいらなくなったのは仏の世界になったから
・米が一気に広がったのは、酒がうまかったから
皆様も良い時空の旅を!歴史シリーズ次回は、飛鳥編です。【6月7日(水)よる10時~】WEEKLY OCHIAI『なぜ「戦士」と「英雄」は誕生したのか?【時空ミステリー 弥生・古墳編】』を生配信します。
現代を読み解く鍵は、いにしえの社会にあるかもしれない。
長い安定期の縄文時代が終わり、本格的な水田稲作を中心とする生活が始まった弥生時代。農耕社会の発展により、新たな世界観や秩序がもたらされ、様々な変革が起きたとされているが、実はこの時代に、今日の国際情勢でもみられる“ある行為”が登場したと言われている。“戦争”だ。それまで日本列島に存在しなかったとされる集団による“戦いの思考”は、どのようにして誕生したのか?
そして、その後、集団の発展をリードする長が台頭し、各地で古墳の築造が進められる古墳時代が到来するが、なぜ前方後円墳に代表される巨大古墳が作られるようになったのか?そこに潜む「カルト」とは?
古墳研究や戦争の考古学的研究を専門とする国立歴史民俗博物館の松木武彦教授を迎え、「墓」から見える、いにしえの生活と思想を落合陽一が読み解く。
※ライブコメントからの【質問】に答えます。
ゲスト:松木武彦(国立歴史民俗博物館・教授)