【テスト付】自分の「イデオロギー」を知っていますか?
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価値というのは創造(想像)されるものです。
紙幣がただの紙から、人間のあいだの信用によって1万円札になるように。
人間の価値も創造(想像)されるものです。ただ、人間の場合、人間のあいだだけでは価値は創造できず、神との関係によってしか結局は価値を持てないと私は思いますが。
政治は価値をつくりだす技術です。
紙幣に、法律に、教育に、民族に、国家に、価値を持たせることができる技術です。
人間に、自分に価値があるという想像(創造)すら可能にさせます。
政治は人間を集団にすること(結集)によって、価値を持たせる技術です。これは、間違ってはいません。
「世界で1つだけの花」だから価値がある、というなら、政治は要りません。いかにも政治とかしなくてもよさそうな歌です。
しかし、ナンバーワンにはならなくていいとしても、ナンバー29(現在の日本の1人当たりGDP)くらいならともかく、ナンバー150くらいの国であることは、実際にはみじめなことです。
自分が自分であることだけで価値がある、と思える人間は、そうはいません。ほぼ確実に他と比較してしまいます。
政治は人を集団にして動かすことで価値を創造(想像)することができる、その時にイデオロギーを使う、それはそうです。
ただし、政治というのは、人間の価値を想像させる数ある手段の1つに過ぎません。
宗教もあれば芸術もあります。
この記事の筆者が、あえて「君の無価値さ」を強調する点、「狂気」を勧める点は、意図的な誘導が見られます。
吉田松陰とかヒトラーとか毛沢東とか、政治において「狂気」を強く勧めた人というのは歴史上少なからずいます。
しかし、全ての政治家が「狂気」を人々に求めたかというと、そんなことはありません。
むしろ、そんなものにとりつかれなくても、人々に価値を想像(創造)させることができるのが、政治という技術です。先日、本屋を歩いていて、ひときわ目を引く装丁の本がありました。それが、今回紹介する書籍『政治的に無価値なキミたちへ』です。ピンクとブルーで彩られたドラクロワの「民衆を導く自由の女神」は平積みされた本の中で、かなりビビッドに目に入ってきました。
政治というと小難しいイメージを持たれがちですが、本来は「こういう世界があればいいのに」というシンプルかつ個人的な思いを起点にした、日常的な行為のはず。大学時代の政治学の講義を思い出しながらの取材でした。イデオロギーでラベル付けして対立(治安の悪い喧嘩)しているのを見かけるので、そもそも政治(と宗教)そのものに蓋をして自分のイデオロギーには無関心であるという人が多い気がします。
自分のイデオロギーを考える2つの軸としてCPR、ESCRが上がっていましたが、この軸で政治や政策に関するニュースを見てみるだけで意見を持ちやすくなるかもしれません。
日本にいると強い意見を持つことがダメな気がしてきますが、意見が無い人が多いと結局思考停止の現状維持につながってしまうと改めて思います。