「多様性」にムカつくこと
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みんな仲良く足並み揃えていきましょう的感覚は多様性の勘違いどころか差別であり、多少ぶつかっても傷つけてもちゃんと向き合って相互の違いの理解を深めることが必要な気がしますよね。
多様性という言葉はなぜ生まる必要があったのか?皆が当たり前の様にアリはアリでカマキリはカマキリって理解している前提の世界があれば生まれなかった言葉。
そろそろそんな当たり前の前提飛び越えようぜっていう若い子の問題提起って頼もしい。
注目のコメント
多様性にイラっとすることは別にいいと思います。それは感情。
個人の好き嫌いは強制されないはずです。
ただ、多様性を批判するってのはちょっとしっくりきません。
批判してしまったらマイノリティは数が少ないので、大多数に負けてしまう気がします。
好き嫌いはあまり言葉にはせず、頭の中に留めるのがいいのだろうか。
そして、多様性は正しいとか正しくないとかではなく、「受け入れるもの」であり「頭の中の幅を広げること」だと思います。選択肢や幅がないと基本「拒絶」を選択する人が多いのが人間だと思うので。
ディズニーが黒人を採用した意図は、
マーケティング的に、黒人を使っても収益が落ちないという分析をしてのことか、それともほんとにダイバーシティーの実現が企業理念で実現したいか。多分どっちもなんだと思いますけど。予算的に白人バージョンと黒人バージョンを作ることはできないので、収益も理念も実現したいと思ったので、黒人にしたのかもしれません。
【国】
中国やロシアが国家としてはゴミでしょうが、そこに住む人はいい人もいれば悪人もいるでしょう。国単位で相手は評価できないでしょう。いい奴と悪い奴の割合はもしかしたら誤差はあるのかもしれませんが、大して変わらんでしょう。
【LGBT】
トランスジェンダーに対する批判がありますが、ほんとにそういう人もいれば嘘ついている人もいるでしょうから、その見極めをルールや法律で規定していけば問題ないのかなと。心が男なのに女子トイレや女子風呂に入ることになるという極端な例を排除すればいいだけかな。小説「片思い」を読むと男何%、女何%と入れ替わる微妙な人がいるというのも理解する。
【タトゥー】
最近いっているサウナがタトゥーOKで、最初はモヤっとしましたが、人間慣れるもんで、特にマナーが普通だったので、なんとも思わなくなりました。(ただタトゥーをしている人のマナーが悪かったら、もしかしたらバイアスで「だから」と思うかもしれませんが、思うだけで特に何も言いません。それがその店の方針なのだから、いやだったら行かない、それでも行きたいなら行く)
【部落】
東日本に住んでいると、部落というものを身近に感じません。あまり体験もない。西日本の人はもっとあるのかな。
長くなってしまった。勝手ですが、この記事を読んでアウトプットが出来ました。ありがとうございます。笑ひろゆきさんも同じ事言ってました。ただ個人的にはあまり納得してません。
というのも、そもそも"多様性が強制されている"という視点自体がマジョリティ(例:日本における日本人)から来るものであり、元々画一性の元に抑圧されていたマイノリティの方々がその立場に到達するのは自身がマジョリティになるまでなのでは?と思うからです。
要は、多様性の強制はどこまで行っても行き過ぎる事はなく(例えば、日本で黒人がマイノリティでなくなるまで多様性を進めても、それが加速してマジョリティが黒人になる事はなく、別のマイノリティ人種の"多様性"が叫ばれるだけ)、最終的には全ての機会が平等に与えられるだけであり、それは目指すべき所なのでは?と思っています。
もちろん、環境が違えば結果平等にはなりません(例えば、日本における日本人の日本語教師の割合は50%を切る事はないと推測します)。ですが、合理的な理由がない限り、機会としてその環境に飛び込む権利は全員に平等であるべきだとは思うんですよね。その意味では、個人的にはやっぱり多様性推しです。何年も多様性と言っていて…
本当にその通りだなと感じました。
言葉だけではなく日常としてどうあるべきかを、形にしていきたいものだなと改めて思います。