【新現象】若者たちが「仏教」に駆け込んでいる
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個人的には仏教の考え方は好きで、マインドフルネスはネズミが回し車をいかに速く走るかを提供しているのに対して、仏教は回し車から離れて俯瞰する事を教えているという話を聞いたことがあります。
この考え方はメンタルヘルスの観点からは非常に重要で、今の環境が全てではないということに気づければ、自分の中に新たな価値観を作ることができると思います。
実は、私の先輩と後輩が仏教の扉を叩いており、何が起きているのか興味が湧いていたところです。まだ話を聞けていないので、その理由が知りたいと思っていました。
2人とも医師でありながら非常に野心的な方々なので、どうしても仏教と結びつかなかった印象があります。
現代社会の中で幸福を見つけ出そうとすると、資本主義的な考え方に向かう事が多いかと思いますが、仏教は全く違う考え方を提供しており、新たな気づきがあるのかもしれません。「チャン仏教」って、日本語としては意味がわからないですが、「禅仏教」ですね。英語だとChan Buddhismなのを、その音のままカタカナにしてしまったんでしょう。
中華人民共和国の宗教流行はたびたび起きており、
・1990年代の「法輪功」の台頭と大弾圧
・非公認のプロテスタント教会の流行と2005年の「宗教事務条例」施行、その後の大弾圧
・近年だとキリスト教系新宗教「全能神」の拡大と大弾圧
などがあります。
これらの宗教は、万単位の信者を当局に見つからずに動員できる地下組織を持ち、その組織力が中国共産党に非常に警戒されました。
マルクス主義などもうほとんど信じている人はいないですが、中国共産党が代わりに提供しているのは「中華文明」、要はナショナリズムで、あまり新しさも面白さもありません。
そして大学を出て大都市で知識集約型産業に従事している若い中国人に魅力的な要素がありません。
かといって、中国人も法輪功とか全能神のような宗教組織に加わったら社会生命が終わることは知っているので、伝統宗教の範疇で、政治的要素が皆無な商品化されたスピリチュアル・サービスを消費者として消費する、ということが増えています。
これは米国や日本でも同じことで、本当に出家して家族や俗世との接点を断つ、とかではなく、ネットで手軽にアクセスできるスピリチュアル・サービスとか、オルタナティブ・ツーリズムの一種であるスピリチュアル・ツーリズムの需要が高まっている、というのとだいたい同じでしょう。人類史を振りかえっても、ご飯が食べられて、ある程度豊かになり時間ができて暇になると、人間は「人間とは何か」「人生とは何か」「幸せとは何か」といった深遠なことを考えるようになるものです。
そうして生まれてきたのがソクラテス、プラトン、アリストテレスといった古代ギリシアの哲学者(ソフィスト)たちでした。
パンデミックのときも我々はなかば強制的にある種の暇にさせられたので、誰しもそんなことを考えるようになりました。自分の人生を見直し、大企業を辞めたり、起業したり、地方へ移住したり、農業を始めたり・・・といった人たちが増えたのは、そんな事情が働いたからでしょう。
私は若者ではありませんが、仏教に駆け込む若者たちの気持ちはわかるような気がします。
自分もあれこれ考えていた10年前に厄年を迎えたので元旦に山王日枝神社で厄除けをしてもらったんですが、いや、ちょっと待てよ、いくら厄年だからって元旦のときだけ神様、仏様お願いします・・・というのもあんまりにも虫の良すぎる話じゃないか??と思い、その後、毎月1日の早朝に参拝することを習慣にするようになり、今月で連続124か月目を迎えました。
ま、自分の場合は厄年の年に毎月参拝したら何ひとつ災難がなかったので、参拝をやめたら良からぬことが起こるかも!?と怖くなり、翌年以降ずっと続けているというだけなんですが、やっぱり早朝の神社へお参りするのは気持ちのいいものです。
何か神頼みするとか、願掛けするといったことは一切なく、ただ首を垂れるだけ、気持ちいいというだけなんですが、仏教へ駆け込む若者と同じかな?違うかな??