なぜ日本でラグジュアリーが育たないのか、という問いの限界
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注目のコメント
負の部分を含め、面白い記事だと思いました。
「日本の文化はインバウンドを盛り上げる魅力にはなりますが、ライフスタイルそのものは外国人の眼にさほど魅力に映っておらず、そのために価格に反映しづらくなっているとぼくは見ています。」という点については個人的には別の意見で、日本人は文化にしても食事にしても過小評価をしすぎている(つまり安すぎる)から、その本当の価値が外国人に伝わらないのだと感じています。環境副大臣の山田美樹さんにインタビューした記事を公開しました。後半は、「新・ラグジュアリー」の共著者、安西さんが新・ラグジュアリー的視点からコメントしています。
「なぜ日本でラグジュアリーが育たないのか」という問いそのものを変える必要がありそうです。ぜひ、ご一読いただければ幸いです。今の日本のラグジュアリー以前の問題は、「差」を尊ばないことにあるでしょう。
「出る釘を打つ」、「相手の気持ちを忖度し合わせる」などのことからは、「違い」を生み出そうとする気概は生まれてこず、その違いを愛でるパトロン階級も台頭してきません。
戦国武将でも茶器を尊重したのですから、これは日本固有の文化には帰着できません。
戦後日本の高度成長の大衆文化を引きずったままでいることが問題なのでしょう。