【休日に読む】時間が「早かったり、遅かったり」する理由
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コロナ禍では、自粛中はとても長く感じましたが、今となってはあっという間だったようにも思います。なぜ同じ現象に対して、「その時」と「数年後」でこうも感覚が異なるのか。考えれば考えるほど、「時間とは何か」という深遠な問いに行き着きます。
個人的には、昔は1年が早く経過することに焦るような感覚がありましたが、最近は「なんだかんだ、あっという間だったな」というのも嫌いではなくなってきました。大学探検部の同級生が洞窟で行方不明になったことがありました。もちろん消防はじめ離島だったので島をあげての大捜索となったのですが一向に見つからない。
私は東京でその知らせを聞く立場だったのですが4日経って洞窟の奥の奥で無事発見されました。
当時私は心理学科だったので、その時の感覚を本人にインタビューしてレポートを書いたのですが
確かに2日ぐらいだと認識していたとのことです。
洞窟のなかはまさに光一つない漆黒の闇でしかも体一つ潜れるかどうかの迷路が延々と続きます。かれは1人道を間違えて進んでしまいライトが消えて身動きできなくなったのですが
そんな恐ろしい状況でも人は希望を持って時間を短く認識しながら生き延びられるのだと驚いたものです。
ちなみに彼は特段メンタルが強いといったタイプではありませんでした。
しばらく忘れていましたが、この記事を読んで久々に思い出しました。
そうした過去の記憶もちょっとしたきっかけで関連のあれやこれや(見つかったあとみんなでカラオケ行って歌った曲とか)を思い出していくのも
時間感覚の面白いところだなと思います。時間は万人に平等に与えられたもの。その時間の使い方で人生が決まりますが、時間の捉え方には「時計時間」「主観的時間」「物理的時間」の3つがあるそうです。平等に与えられているのは「時計時間」です。
主観的時間や物理的時間は、体験によって変わってくる。どんな生活をするか、どう生きるかを考え行動することによって、豊かさの度合いが変わってきます。