【図解・アルツハイマー】「不治の病」を治す薬はできるのか
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「レカネマブ」はもともと北極圏近くのスウェーデンの街、ウメオにいた遺伝性のアルツハイマー病の一族の研究がきっかけになって、生まれた薬です。
それについては昨年9月末に週刊現代に、90年代に現地に調査に入ったラース・ランフェルト博士のインタビューを交えながら書いています。
https://gendai.media/articles/-/100510
NewsPicksのこの記事は、参考文献に『アルツハイマー征服』(KADOKAWA)をあげていますが、この単行本にはNewsPicksが参考にしたであろう上記の記事は、収録されていません。
上記記事を読めば、開発の背景がより深くわかるはずです。
またNewsPicks記事ではランフェルト博士が「若くしてアルツハイマー病を発症する家族性アルツハイマー病の研究をする」とありますが、ランフェルト博士がアルツハイマー病の分野にうつったのは、1992年、43歳のときのことです。もともとは他の遺伝病(acute intermittent porphyria)を医師として研究をしていました。
1992年は、家族性(遺伝性)のアルハイマー病の突然変異がどこにあるか、世界中の研究室がデットヒートで探し回っていたときで、ランフェルト博士は、まずスウェーデン変異と呼ばれる突然変異を発見し、北極圏変異と呼ばれるウメオの街の一族の変異を発見したのは、1998年のことでした。この一族の変異からできる老人斑は、はっきりしたものではなく、ぼやっとしたものでした。そのことから、アミロイドベータが完全に凝集する前の「プロトフィルビル」の状態のときの抗体をつくることを思いついたのでした。
それが「レカネマブ」になります。
エーザイがランフェルト博士にコンタクトしたのではなく、ランフェルト博士のほうが、「アリセプト」の成功をみて、エーザイにコンタクトしたのでした。なので、この時点で「エーザイがプロトフィルビルに注目していた」ということはなく、エーザイが権利の取得を決断するまでは時間がかります。社内でもこの「レカネマブ」(BAN2401)は、長く二番手のプロジェクトでした。エーザイが、プロトフィルビルの抗体の重要性に気がつくのは、フェーズ1、フェーズ2の好成績をへてのことです。あらためて調べてみると、世界トップクラスの製薬会社のほとんどがアルツハイマー病治療薬の開発に関わったことがあり、そしてほとんど失敗に終わっています。
臨床試験入り後の成功率は2%。承認にこぎつけられる薬が出ないので、この数字は年々低下しています。自分の老後のためにも、開発の成功率が上向いて欲しいところです。
現実的には、薬で全部どうにかするのは難しいので、今から健康的な生活を心がけようと思います。アミロイドβが10年、20年、あるいはそれ以上前から溜まり始めると聞いて、そう心に誓いました。取材協力をさせていただきました。私は米国で老年医学の臨床をしていますが、これから先アルツハイマー型認知症の患者さんとの向き合い方が変わりそうな転換期を迎えつつあるというような感覚は持っています。
治療という意味ではまだまだ改善の余地しかない領域ですが、これからアルツハイマー病ワクチンなどの開発が進み、有効性が示されるなどということになれば、この世界が大きく変わるという可能性もないわけではないからです。その道のりはまだまだ険しいものだと思いますが、その克服は不可能ではないとも思います。