落ちこぼれアスリートの逆襲

元Jリーガーの逆襲・第1回

戦力外通告から社長にのし上がった男

2015/2/2
トップアスリートが華々しい注目を集める一方で、その背後にはたくさんの「落ちこぼれアスリート」がいる。収入は乏しく、首になった瞬間に生活に行き詰まってしまう。だがその屈辱を糧に、セカンドキャリアで奇跡を起こす人間もいる。本連載の第一弾は戦力外通告から社長にまで上り詰めたJリーガー、元柏レイソルの薮崎真哉を取り上げる。
薮崎真哉、1978年千葉県出身。習志野高校の2年時にインターハイで日本一に。1997年に柏レイソルに入団した。同期入団は北嶋秀朗。高校の2年後輩に玉田圭司がいる。6シーズン目に戦力外通告を受けた。(写真:本人提供)

薮崎真哉、1978年千葉県出身。習志野高校の2年時にインターハイで日本一に。1997年に柏レイソルに入団した。同期入団は北嶋秀朗。高校の2年後輩に玉田圭司がいる。6シーズン目に戦力外通告を受けた。(写真:本人提供)

手元に残ったのはベンツのローンだけ

高校のとき日本一になったイケイケの薮崎真哉にとって、あまりにもカッコ悪い戦力外通告だった。

習志野高校から期待されてJリーグの柏レイソルに入団したものの、6年間で公式戦の出場はわずか2試合のみ。チームにまったく貢献できず、ついに見切りをつけられてしまった。

戦力外を受けたときの貯金はゼロ。手元に残ったのはベンツのローンだけ。24歳にして、人生のどん底を味わうことになる。

だが、そこから薮崎の逆襲が始まる。

フリーター生活から抜け出してトップ営業マンへ成り上がり、約1年で自分の会社を設立。1度は事業に失敗したものの、2008年にWEBリスクコンサルティングを行なう『株式会社ジールコミュニケーションズ』を起業して、順調に会社を成長させている。

ネクタイを締めた薮崎は、満面の笑みで言った。

「人生を諦めたり、目標がなくて、死んだような顔の人間にだけはなりたくなかった。それが僕の中の動機。苦しくてたまらなかったけど、ちくしょう、ちくしょう、ここで負けるわけにはいかないと自分に言い聞かせて、自分の会社を持つことができました」

次はレストランで挫折

解雇された薮崎がまずやったのが、ベンツを売ってローンを精算することだ。とにかくお金がない。しばらく千葉県の実家でゴロゴロしていたが、いつまでも「収入ゼロ」の生活を続けるわけにはいかなかった。

頭に浮かんだのは、飲食業だった。

「めちゃくちゃ安直なんですが、飲食店を経営しようと思いました。引退したサッカー選手にありがちな考えなんですけどね。で、そのときJリーグにはセカンドキャリアのサポートがあったので、まずは勉強を兼ねて、銀座のダイニングレストランのフロアスタッフになりました」

ここに応募したのには、もう1つ動機があった。店長の年収が1000万円とうたわれていたからだ。週の半分は店に泊まり、朝一番にひとりで掃除をして、ガムシャラに店長を目指した。

「バイトの人間からは馬鹿なやつと見られていたと思うんですけど、選手のとき以上に一生懸命やりました。当時、自分は24歳。一般の人が大学を卒業して働き始めるのとあまり変わらない年齢です。だから、まだ追い抜けるかもしれないと考えた。サッカーと遊びしかやってこなかったので何ができるかまったくわからなかったけれど、とにかく成功したいという思いで必死にやっていました」

ところが半年が経ったある日、薮崎はショックなものを目にしてしまう。

「当時の給料は20万円か22万円くらいだったんですね。それはいいんですが、店長の明細がちらっと見えたら25、26万円だった。『え? 話が違うじゃん!』って固まりました」

サッカーを辞めた直後に、すぐに次の職場を辞めたらそれこそカッコ悪い。だが、薮崎は葛藤の末に辞職を願い出た。

「1度決めたことを辞めるのはものすごく嫌だったのですが、どうしようかと悩んだあげく、辞めたいと伝えたんです。そうしたら2カ月後ならいいと。だから2カ月間、一生懸命やって辞めました。社会で成り上がってやるって意気込んでいたのに、社会はそんなに甘くなかった。自分にとって究極の挫折の瞬間でした」

「正直死にたいと何度も思った」

立て続けに失敗したことで、薮崎は初めて自分と向き合った。

「レイソルを戦力外になったとき、J2に売り込んだり、トライアウトを受けたりすることもできました。けれど、自分がそれをしなかったのは、ただカッコつけていたんじゃないかと思って。そこから佐川急便とか、警備員とか、日雇のバイトをしました。正直死にたいと思ったことも何度もありました」

そんなとき、ヒントを与えてくれたのが父親の存在だった。父親はトヨタの営業マンで、顧客に頭を下げて、媚を売っているというイメージを息子は勝手に抱いていた。だが、営業なら結果を出しただけ収入に跳ね返ってくるという夢がある。

「こうなったら営業をやってやろうと。ノートに『2年以内に絶対独立する』と書いて、就職活動をしてある会社に入りました。ここから僕の猛反撃が始まるわけです」

(次回に続く)