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傷ついてなお、偶然性に身をひらく【鬱地獄生還記4】

弱さ考
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  • 宿泊業(沖縄)

    偶然は今、必然は過去、未規定な未来。


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  • NewsPicks Content Curator/CX Team

    あなたは人生が「尊い」のは、偶然手にした属性(能力)ではなく、手にした「属性」で社会を渡っていく時に出来ていく自分らしい「傷のあつまり」があるからである。という部分は心に残りました。
    偶然自分だったというだけで、好ましくない「属性」を手にした人がいます。たとえばそれが障害だった場合、この障害をどう受け入れるのか、当事者にとって大きな課題と負担です。
    「なぜ私だけが・・」というモヤモヤした感情はそうそう拭えるものではありません。
    いつかのテレビ番組で、「(障害者に対して)、もし、自分が健常者に生まれていたら、その方が人生は良かったと思いますか」のような質問がありました。当然、健常者の方が良いに決まっていると私は思ったのですが、番組に出ていた方のなかで、「私は障害者として長年苦労もしたが生きてきたので、その自分なりの人生に価値を感じているので、健常者に生まれたという安易に別の人生を提示されても魅力を感じない」のように回答されていました。
    私たちはどこかで「属性」による偏見や思い込みを感じてしまっている気がします。それが自分にない「属性」ならば、なおさら。しかし、「私は、あなたでもありえた」、「あなたも、私でありえた」という人の人生が偶然性によって決まっているというならば、相手も周囲の人々も偶然の結果生まれた自分と同じ人間なのだという視点に立ちかえることが必要だと思いました。


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