止まらない中国の文化統一、習政権が見る「未来図」
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中国には3000年前には文字があったし、その頃から中国各地に別々にあった青銅器文化と現代の中国には歴史的な関係はあります。
ただし、その頃の中国に住んでいたわけではない人々の子孫も、今の中国にはたくさんいます。
それこそ、過去1000年以内どころか、100年以内になって初めて漢字に接したような人々も、今の中国国民にはいます。
多様な人々が流入し続けて、1つの国民にするという課題を抱えている、というのは、米国でもインドでも同じです。
米国のように、経済的・軍事的な強さに参加することこそ米国民になる理由、というのなら、国民が何を信じてどんな文化を実践しようが、ポリティカル・コレクトネスの範囲内であれば、問題になりません。
インドのように、とらえどころがないくらい茫漠とした、数十億年単位で世界は創造と消滅を繰り返す、というような、人間界をかけ離れた宇宙観を持っていると、どんな異文化が入って来ても、自分たちの宇宙観の中に位置づけてしまいます(そうはいっても宗教間紛争は頻発してきましたが)。
中華は宗教で世界をまとめようとする文明ではなく、かといって文化の多様性を肯定するわけではありません。儒教において最も体系化されていますが、礼によって秩序を正そうとする文明です。
礼というのは、道徳的な価値も含みますが、言語であり、国に対する忠であり、秩序に従う姿勢を常に体現することです。
日本人にはむしろすごく身についている発想ですが、外部から見ると、なぜ礼に従わなければならないのか、論理的に説明されていないので、ただの自民族中心主義に見えてしまいます。
日本もそうですが、根本的に、普遍的な文明たりえないところがあります。
それでも、2000年以上、諸王朝がやってきたやり方なので、改めることはできないのでしょう。
結局、中央政府と少数民族の力関係の問題で、共産党の中央政府がそこまで強くなかった時は、少数民族に妥協してきましたが、力関係で優位に立てたと確信すると、本能的に礼による秩序を打ち立てようとします。それぞれの個を尊重するアイデンティティは守られていくべきであり、国家権力で抑制するべきではない。
中国のナショナリズムの強さが日々の教育によって自然と形成されてしまうことはどうしようもない気もしますが、、。
多様性社会が実現することを願います。