【伊藤穰一】Web3がなぜ「日本復活」の武器なのかを語ろう
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注目のコメント
Web3がいずれ社会を変えることは間違いないと思うのですが、これまでの議論は古典経済学と同じように「人間は合理的だから、こうしたツールや仕組みがあればこう動くはずだ」というかなり限定的な前提を置いているように見えます。行動経済学が脚光を浴びるようになったのもそれだけではないとうすうす気づいていたことがやっと経済学の世界でも認知されたからでしょう。そうした「人間」の部分を、どう取り入れていくのかが1つの課題なんだろうなと思いました。
個人的にはWeb3はそんなに期待していない。
記事にWeb 1.0、Web 2.0について出ている。
Web 1.0でネットが出てきたときには、分散的な構造がこれまでの構造の違いとして注目された。元々ARPANETという米国防省のプロジェクトがベースで、耐攻撃性という観点での分散が重要だった。
Web 2.0では、その分散構造のなかで情報が爆発的に増加する中で、Googleを中心とした機械ベースの検索エンジンが成長して、分散した情報にスムーズにアクセスできるようになった。情報量が爆発的に増加しても対応できるようになり、またその後はそこで溜まる個人情報が、利便性とリスクの観点で成長の限界の要因になっている。
歴史は繰り返すことが多く、また伊藤さんがコメントされているまつもとゆきひろさんの言葉とか、コンピューターは昔から集中と分散の歴史を繰り返してきた。
ネットは、新しい概念が出る時に、カウンターカルチャーも併せた一種の分散原理主義と併せて出てくる。ただ、世に遍く広がるためには、カウンターカルチャーや原理主義では広がらない。
だから分散的な熱狂が集約し、一定の閾値を超えると、社会に広がる中で事業者を中心とした集中構造が生まれてきた歴史でもある。それは、分散したままだと社会実装する限界があるから。
Web 3も、結局様々なプロジェクト(NFTなども含め)で淘汰、優勝劣敗が始まっているように見える。それは一種の中央集権化。
なお、前の時代よりは、それでも一定の分散化が図られている。Web 1.0/2.0は、メディアしかマスへの発信手段や発見される手段がなかったところを大きく変えた。またグローバルでは分散して仕事できるようになったところも多い。
前の時代より分散は進むが、一度分散が強まった後に集中していくというのが現実だと思う。「テクノロジーは、振り子のように“ゆり戻し”を繰り返しながら進化していく」
以前、プログラミング言語のRubyを生んだ「matz」ことまつもとゆきひろさんを取材した際に聞いた言葉です。
このゆり戻しを換言するなら、つまりは進化の規則性とも言えます。
昨年まで世界的な熱狂の対象となっていたWeb3(NFTやクリプト)界隈も、今はさまざまな要因で少し下火になっています。が、matzさんの言葉を借りれば、「次のゆり戻し」が来た時には必ず進化形を見せてくれるはず。
今回の伊藤穰一さんのお話は、そんな確信を持たせてくれる内容でした。
10/24、丸の内で行う〈CHANGE to HOPE 2022〉では、その伊藤さんに加えて、
・NFTアーティストの草野絵美さん
・ブロックチェーンプロジェクト「Polygon」のビール依子さん
・経済キャスターの瀧口友里奈さん
の4人による「Web3の社会実装」をテーマにしたトークセッションを開催します。
ぜひご来場ください(そして、コメント欄にて「登壇者への質問」も受付中です!)。