【対談】ビジネスパーソンを虜にする「ファスト教養」を斬る
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教養の重要性、即効性ある知識の重要性。
どちらがよいかの議論は、考えると、わたしが学生時代からずっとある気がしています。
なので、普遍的な議論であって、答えがないものな気がします。
また、それでいて、時代や個人によって、ゆらぎやより戻りがあり、それらのニーズが時代や個人で偏ることも多い気がします。
仮に教養の重要性が、この記事で触れられているように自身の価値観に根付いた「目的」を見つけられるようになることだとして。
仮にこのファスト教養と呼ばれるものを含む即効性ある知識の重要性が、目的を見つけられるようになることではなく「解決策の選択肢」を手に入れることだとして。
こうやって書いてみると、どちらも重要な気がします。
まずは、目的がなければ、この記事のとおり、前に進まないし、自由に欠ける気がします。いくら解決策の選択肢があっても、使い道がない。
一方で、目的がすでにあって走っているステージだと、もう目的は必要なく、解決策の選択肢があれば、より目的の達成に近づく。解決策の選択肢がなければ、せっかく自分の価値観から見つけた目的も達成できない。
なので、個人の人生やキャリアのステージによりけりで、どちらも否定するものではなく、どちらも貴重なものな気がします。
個人的には、いまの時代は、どちらかというと、教養が必要という論調が書店を歩いていても、多い気がします。
これは逆に言うと、テクノロジーの進歩が速い時代で、解決策の選択肢が豊かなので、ボトルネックとしての課題が目的側にあるケースが多いということなのかなと考えることがあります。
ただし、それがテクノロジーなり、解決策側の重要性を否定するものではなく、あくまでも、目的と解決の選択肢は、互いに不可欠で、共存共栄できるものな気がしています。
注目のコメント
お菓子のように食べると美味しいけど栄養が偏っているものと、成長や健康のための食事が異なるように、情報や学びにおいても質の違いを意識したいです。
ただし、お菓子だけだと体に悪いですが、疲れた体への清涼剤になるように、ファスト教養も役割はあるはずです。
人生を豊かにしたければ、社会に出てからも学び続ける必要があると考えます。
それでも、深い学びへのとっかかりがない場合、様々な分野に浅く触れて、何かに興味を持つきっかけになることもあり得るので、ファスト教養に手を出すことは、何もしないよりはマッチベターなのではないかと捉えています。「ファスト教養」とは少し違いますが、時々思うのは、中学校や高校の国語の教科書って結構いいものを載せていたのに(森鴎外『最後の一句』とか夏目漱石『夢十夜』くらいしか覚えていません)、なにかバカにしてうまく生かせなかったなあということ。経営学にはabsorptive capacityという概念がありますが、土台がないから作りたいけど、土台がないからそもそも吸収できないのは悩ましいなあと思ったりしました。
「手っ取り早く学べて、ビジネスに役立つ」を謳う、近年の教養ブーム。この現象を「ファスト教養」と名付けたブロガー・ライターのレジー氏が、大学時代に薫陶を受けたという楠木建氏と、ブームがはらむ問題点を語り合います。
学びの入り口が「ビジネスに役立つ」だっていいじゃないか……と思わなくはないのですが、楠木先生が解説する「教養」の明快な定義や、私たちを駆り立てる「なにか勉強しておかないとマズいんじゃないか」という不安(焦り)の解剖などを通じて、「なんのために学ぶのか」を改めて考えさせられる対談になりました。
みなさんのご意見もお待ちしています!