「変なやつと思われたらどうしよう、と感じる人」と「個性を発揮できる人」を分ける考え方
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仕事がら、マニュアルや運用ルールを作成することが多いけど、もしかしたらある程度作業者の思考の幅がきくように緩めたものを作成するのもありかもと思った。間違いないよう、きちんとルールを決めることも大事だけども。
注目のコメント
変なやつって言われたら喜ぶ。
普通はとか常識的にはということで行動しても面白くないですよね。だからといって、気をてらう必要はない。
変というのは、みんなの想像を超えていること。素直に個性を発揮しているだけ。むしろ褒め言葉くらいに思えばいい。ジョハリの窓、他人から知られているまたは知られていない、自分が認識している、認識していない、これらの窓が四象限あるわけですが、他人が知っていて、自分が気がついていない強みは、フィードバックから学ぶことができます。フィードバックはギフトで、強みに気がつけることができ、感謝する瞬間です。
変な人だと思われたら、ユニークな点があるのだと、喜んで良いポイントかもしれませんね。個性を発揮できてこそ、ダイバーシティな視点が混じり合うよいきっかけかもしれません。
ダイバーシティが混じり合うことでのイノベーションの新たな発掘に繋がることもあります。おそらく多くの人は、自分はオリジナルでありたいと、心のどこかで思っているものだと思う。
「変なやつ」というのは、自分と違う人に対して思うものなので、人生において普通に生きていれば、変なやつだと思われないのはむしろ不可能。
そういう意味では、みんな間違いなく個性は発揮していると思う。
ここでの話は、ただ単に目立ているかどうかや、稼げているかどうか等の話でしかないように感じる。
目立っても我を押し通したいのか、それとも違うのか。
それこそ個性の問題であり、人それぞれの判断・人生であるから良い悪いの問題ではないだろう。
ただし、本来の自分が求めるものには、しっかりと自覚している必要はあると思う。