安倍元首相銃撃「警護に問題否定できない」奈良県警本部長会見
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命をかけて警備する側に警護対象が亡くなったことに関して何かを言うことは多分あまり良いことではないだろうと思うのですが、せめて「万全な警備の中それでも止められなかった」ことが事実であってほしかったです。
失敗することが成長にとって重要な要素になるのは、大事なところで失敗しないことを前提とするからです。反省して受け止めることが有効なのは、最重要な何かが起きる前なのですよ。
この上なく大事な場面で失敗をしたことが許されないとは言わないけど、それによって起こる怨嗟の声を受け止めることが必要になる気がします。
それに、暗殺は仕方がない、止めることはできなかった、警備の問題ではないという立場は、政争やその他の対立において暗殺が有効な手段であることを補強する意見になりかねないですよ。私たちが知性を武器に戦う限り、暴力を武器にすることを有効にするような状況を許すわけにはいきません。暴力を武器にしない選択をする我々がとるべき立場は「暗殺は不可能である。よって無効な手段である。」であると思っています。
色々書きましたが今回の一件で警察や警備を批判するというよりは反省するしか何もないことはわかっています。この一件は日本という国の治安という面で大きく変わるきっかけであると捉えられるでしょう。もう既に安倍元首相の主張した「安全な国家」などではないことを知るべきです。そういうきっかけの事件だったのでしょう。
注目のコメント
ネットで流れてる動画を観ての「印象」ですが、犯人の様子として、厳しい警備の一瞬のスキを狙って撃った、というのではなく、完全ノーマーク。まったく無警戒。いつでも撃てるじゃん。で、撃ちました、という感じでした。
警備体制と犯人の行動とが、次元が違っていたようです。そこで「警護に問題」というのであれば、ボディーチェックをされていない不特定多数が接近可能な空間での演説それ自体が問題だったのでは。
つまり、日本全国で現に行われている、政治家の「街頭演説」のほぼすべてが同様レベルの「無警戒」であるわけで、たまたま当事者となった奈良県警ひとりを責めるのは気の毒かも、とも思います。8日夜の刑事部長以下による会見は、
警察らしい仏頂面で「不備があれば対策を
講じる」と無謬性を全面に出したものでした。
あれを見て不愉快になった国民は多いのではないか。
それに比べて、9日夜の鬼塚本部長自らによる会見は
率直で、知性と誠実さを感じるものだったと思います。
当日朝上がってきた警護計画書を鬼塚さんはチェックし、特に修正を加えず、承認印を押したと言います。そのプロセスが形骸化していなかったか?
これを機に、要人警護のあり方が、全国的に見直され、今回のような惨事が繰り返されないことを祈りたい。
8日の会見
https://youtu.be/FtRXhDwAC-A
9日の本部長会見
https://youtu.be/43T827seg60あの現場で狙撃とかは防げない。
でも2射目の前に対応出来なかったのは「銃撃」を想定してなかった事に他なりません。平和ボケと言われたらそれまでですが、日本で至近距離からの銃撃なんて考えたら今日の演説なんて全てアウトです。
ヘッドショットでは無かったのに致命になったのは、防弾チョッキを着ていればと悔やまれる。ご本人もその場で伏せる事はしなかったですし。まさか狙われないという空白が生んだ悲劇だと思います。
逆に防ごうとするなら演説なんて誰もできません。