【松田崇弥】障害は「異彩」へ。言葉が彼らを排除する
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注目のコメント
連載4日目は、ヘラルボニーの松田さんがどんなことに問題意識を感じているのか。
「ルールを1つだけ変えて世界を良くしてください」とお願いしました。
記事内で松田さんも話されていますが「障害者」という言葉自体が、すごく言いにくいですよね。
よくわからないけど、なんらかの差別用語にあたるんじゃないかと不安になって、私自身も取材中、「障害……のある方」みたいな、歯切れの悪い言い方をしていました(苦笑)
「異彩者」となると、ちょっとX-MENっぽいですが、断然言いやすい!
何かいいアイデアがある方は、ぜひコメントくださいね。学校教育では、平均と比較して、不足している部分に目を向けて、それを平均に近づけようとしたり、逆に、平均と比較して、突き抜けている部分も偏りとして均そうとしています。
本来、誰もが他の人とは異なる才能(異彩)を持っていると思います。それは特別な才能を持つ障害者や、一般にギフテッドと呼ばれる人だけでなく、全ての人が。
社会で生活するための一般的な能力を育てることももちろん必要ですが、そういった教育と並行して、個々の人間がもつ異彩を、伸長する教育を目指していく必要があると感じています。言葉を変革することで意識も変わるというのを、改めて感じた記事でした。
ダイアログインザダークに行ってよくわかったのですが、全盲の方は暗闇の超プロフェッショナルで、まさに異彩を放っていました。
>>それによって今「障害者」と呼ばれている人たち「だからこそ」描けるアートがあることを知ってもらい、彼らのイメージを変えること。
つまり、「障害がある人」には確実に健常者とは違う世界や個性があって、それがアートというかたちで素晴らしい光を放つこともあるということです。