休日の中学部活を「民間委託」案、顧問負担軽減へ25年度までに…「会費」支払いも
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注目のコメント
改革の方向性は、間違いない。
教育課程の外にある部活を学校がやる必要は本来ないのだから。
ただ、やり方が肝心。
上で決めて、下ろせば、実行される、と霞ヶ関も教育委員会も学校も思いすぎ。
その前に職員室の心理的安全性を高めて、高信頼組織にしないと何も改革は進まない。異論あり!!
全体として「先生方の本来の仕事は、授業であって、部活は余計な負担である」という基盤の上で意見が交わされているようだ。
法という視点で言えば、確かに文言に無い「サービス」を、歴史的に半強制的に押し付けられてきた、という面はあるかもしれない。
大切なことは、自立に向かう子どもたちに、何が与えられるべきかで、私の大人研究(引きこもってしまった人、優れた功績を残してことを成した人など)によれば、中高の部活という「プロジェクト」でこそ、主体的で真剣で前向きな努力や、反省内省と言語化やPDCAの回し方、他人とうまくやる経験、ウマが合わない人とも折り合いをつける力、やり遂げる力など、多くのものを得ている。
さらに言うと、「部活」「文化祭などの行事」「バイト」「真剣勝負としての入試」で、心も頭も身体も強く逞しくなっている。
むしろ現状の「授業」こそ、スタサプに代表されるサービスや、カーンアカデミーや、葉一くんなどのYouTube無料授業などに、置き換わるべきなのでは無いか。実際そこで勝ち残っている授業は、素晴らしいし。そもそも現実は、予備校や塾、Z会や東京出版の本など、学校外のコンテンツの方が、すでに信頼されている現状もある。
これからの「わざわざ学校に集まって学ぶ」意義は、集まるからこその「議論」「発表」「チームワーク」「人が集まる楽しさ」などの「プロジェクト」の中にあり、その中でも、部活は中心的役割があると思う。
昭和的な「先生像」に、仕組みも皆さんの意見も縛られすぎではないのか。私の場合、現職教員であったときは行事・部活・生徒指導で頭が一杯で、まともな教科研究ができませんでした。
その後、非常勤の時間講師になったことで、行事・部活・生徒指導から離れて、はじめて教科研究に向き合うことができました。
時間講師のあり方にも賛否ありますが、私の場合は、そうして教科研究に打ち込めたからこそ、その後、以前よりも質の高い教育を子どもたちに提供することができたと感じています。
教科指導も、行事・部活・生徒指導もすべて子どものためであり、ムダなものはありませんが、どれを最上位とするのかを問い続け、そこに時間を裂けるようにすべきだと思います。