「人から与えられた仕事しかしない人」と「自分の頭で考えて仕事をする人」の決定的な違い
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「人から与えられた仕事しかしない人」、素晴らしいではないですか。自分の労働力、職業スキルは本来安売りするべきではない。もっと仕事してして欲しければ、もっと自分から動いて欲しければもっとカネよこせ、だよ。大してカネ払わずに社員が気を利かせて自分から動いてくれるのが当たり前と思う経営者は、今後は淘汰されるんと違うか?
優秀な経営者は、凡人の社員でも自分から動かざるを得ないような仕組みというか網を微に入り細に入り、上手いこと張り巡らせているもんよ。「そこまで考えてるの?」と驚くくらい。で、このタイトルはそういうタイプの経営者が言いそうにないようにも感じるけどね、知らんけど。>メルカリがいい例で、セオリーは大事にするけれど、どこかで自分たちの会社のエッセンスを入れようとする。
>僕からするとチャレンジというより「自分の意思を込める」「自分たちの魂を入れる」としたほうが、言葉の捉え方として合っていると思う。
これは分かる。私の生業における内部統制の評価においてもセオリーはありますが、そこに自分の意思を込めて欲しいと思っています。私は『評価者としての主張』と言ってますが。組織である以上いろいろな特性や考えを持った人が集まるのでそれを尊重しあいながらお仕事していくものだと私は思うのでどっちがいいも悪いもないなと思います。
しいていうなら自分の価値観で相手にイライラするような器の小さな人にはなりたくないなということ。
「人から与えられた仕事しかしない」って言っている人は高確率でなんかあったら「勝手なことしやがって」ていうんですよね。頭で考える人ならそれも見越してうまい事やってほしいんですけどね。なんてことをいつも思ってます。
こんなんだから私は意識高い系には嫌われるんですけどね。